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サトルカゲユウ エピローグの2

 ――――それから、どれだけの月日が経ったのか。

 マズルガフ跡地を見下ろす小高い丘で、静かに寝息を立てる少女たちの姿があった。
 ココロとロゼ。生い茂った草原の上で、重なって眠る二人。
 そこはココロがよく座学をすっぽかすために来ていた場所だった。風がよく通り、日差しは直接当たらない。春から初夏にかけては昼寝するのに最適な休息所である。
 村人はいない。襲撃された際の生き残りは十数人もいたが、皆どこかの町へ移住してしまった。村の人が離れてしまったことをココロは少し寂しく思ったが、無事だった人がいるという事実をまずは喜ぶことにした。旅の最中ずっと、マズルガフ住人はほぼ全員亡くなったとばかり思っていたのだ。
「すぅ……」
 ロゼは後頭部をココロの胸にうずめ、すやすやと寝入っている。彼女もまたあらゆる束縛から解放され、悠々自適な日々を送っていた。表情は安らかで、かつて漂わせていた威圧的な雰囲気が嘘のようである。
 一方、ロゼを抱くココロの左手にはまだ包帯が巻かれていた。酷使した左の握力だけは回復しない。しかしそれ以外の部位はほぼ完治し、とりあえず不自由のない生活を送れている。
 元々痛みに強い体質だったのか。無意識の内に痛覚を感じすぎないよう調整してしまったのか。
 並の精神力なら、痛みでまともには眠れなかっただろう。それほどの大怪我にココロは耐えた。耐えたというより、ほぼずっと寝ていた。ある意味彼女にとって幸せな日々だったかもしれない。
「んん……」
 風下の方向に人影が立った。姿を隠す気はない様子だったが、足音は全く聞こえなかった。柔らかな青草だけを踏みしめ、昼寝中のココロとロゼに近づいていく。
 音もなく近づいてきた来訪者の気配に、ココロの危機感知力が反応した。即座に跳ね起きられるよう力を溜めつつ、影の立つ方向へと視線を走らせ――。
「……普通に登場できないもんスかね」
 影の正体を見極め、ココロは脱力した。視線の先に立っていたのは、ロゼの従者フュラーだった。ココロに小さく頭を下げ、ロゼに歩み寄っていく。
「お嬢様。報告に参りました」
 固い声でフュラーが言った。ロゼは相変わらず穏やかに寝息を立てている。
「ロゼちゃん。呼ばれているッスよ」
 柔らかな赤い巻き毛を指先でもてあそび、ロゼを起こそうと試みる。
 ロゼはうっすらと目を開け、フュラーとココロを交互に見比べた。それからゆっくりと体を起こし、芝生の上に座り込んだ。
「いい寝心地だったわ」
「そりゃどーもッス」
 ロゼと真っ直ぐ目を合わせ、ココロは微笑んだ。
 心読みの能力は発動していない。限界以上の力を使ったためか、メビスの精神攻撃を受けた影響からか。決戦後日、ココロは全ての異能を失ってしまった。
 能力をなくして以来、ココロは以前よりも少しだけ明るくなった。消えかけていた表情はにわかに変化を見せ始め、時おり笑顔も見せるようになった。
「報告を聞くわ」
 フュラーに向けてロゼが言った。
「報告します。商会の解体、滞りなく完了しました」
「お父様は?」
「王制撤廃の機運をいち早く読み、流れに乗じて多額の資産を得たようです。今後もさらに活動規模を拡大していくかと思われます」
「懲りない人ね。元気そうでなによりだけど」
 妙に嬉しそうな顔でロゼがつぶやく。嬉しそうだが優しくはない。「いい獲物を見つけた」とでも言いたげな、攻撃力の高い微笑みだった。
「フュラー。私はそろそろ都に戻るわ。新しいことを始めたいの。準備して頂戴」
「承知いたしました」
「ああそれと、戻ったら買う物があるから貴方も付き合いなさい」
 思いついたようにロゼが言って、フュラーは不思議そうに瞬きをした。
「必要な物がございましたら、買い揃えて参りますが……」
「私は一緒に買い物がしたいと言ったのよ。二度言わせないで」
 ツンとすました顔でロゼが言い放つ。
「……承知いたしました」
 フュラーが初めて口元をほころばせた。ココロはその様子を興味深げに見つめた。
 今をもってロゼとフュラーの間柄は読みきれない部分が多い。主と従者のようであり、兄妹のようでもある。しかし、いずれにしても、関係は良好のようだった。
「おとーさんと関係を修復する気はないんスか?」
 ココロの問いかけに対し、ロゼは上品な嬌笑を返した。洗練されており、それでいて悪意に満ちている。変わらないロゼの微笑みだった。
「するわけないでしょ。……まあでも、また会ったら肩くらいは揉んであげましょうか」
「ツンケンしてないで帰省すりゃいいのに」
 時代は大きく動き始めていた。
 ――魔王の打倒からわずか三ヵ月後。王都で無血革命が成り、立ち遅れた王侯貴族らは成す術もなく政権を明け渡した。
 貴族の中でも判断力に秀でた者らは、有識者としての立場を利用し、官僚の座に収まることとなった。しかし国王を始めとして多くの貴族は、その好機すら見出せなかった。
 うろたえる国王や貴族に対し、ロゼは「諦めて利益の確保に努めなさい」とだけアドバイスした。その助言を素直に聞き入れていれば、数代は遊んで暮らせるだけの金銭を手にできただろう。しかし彼らは……。
 新制国家の初代元首となるべく動いてきたロゼだったが、魔王打倒の後は傷ついたココロの面倒を見るため都から離れた。
 ロゼは運営していた商会を解体し、財産のほとんどを新制国家の社会福祉に充てた。そうして、憑き物が落ちたように穏やかな生活を送り始めた。
 一連の行動は、ロゼが成り上がることに興味をなくしてしまったため。それがかえって彼女の名声を高める要因ともなった。
 市民たちの間では、ロゼが革命により王位を簒奪しようとしているのではないか――という疑いの声もあった。奇しくも彼女の心変わりは、そうした懐疑者たちを黙らせる結果となった。
「あれ? フュラーさん?」
「もう行ってしまったわ」
 わずかな時間目を離した隙に、フュラーの姿は消え失せていた。神出鬼没な彼の居場所は、ココロにもつかみきれない。ロゼの眼力をもってすれば見破れるらしいが。
「でも、よかったんスかねー。せっかくロゼちゃんがあれこれ根回ししてきたのに、全然関係ない人が元首になったりして……。それにせっかく貯めてきたお金も、戦災被害者らの救済に使ったって……」
「私は指導者としての責務を放棄したわ。せめてもの償いとして、私財を投げ打つくらいのことはしてあげないとね」
「責務って、なにかあるんスか」
「高貴な人間にはあるのよ。民衆の期待に応えなければならないという重大な責任が」
 しばらく経てば選挙が行われるが、当面ロゼの出馬する予定はない。ひとまずロゼは、政治経済の世界から離れる方針を固めていた。
「私も再出発ね。歩き出さなければあっという間に年老いてしまうわ。特にココロさんは……」
 魔王との決戦から三ヵ月。ココロは毎日ひたすらに惰眠を喰らい続けていた。
 一日の半分以上を寝て過ごす。勇者として旅を始める以前、彼女本来のライフスタイル。
 初めこそ微笑ましく思っていたロゼだったが、三ヵ月経っても変わらないココロの怠けぶりに焦燥を覚え始めていた。
「ほら立って。シャンとして。猫背直しなさいよ。都に帰るわよ、ココロさん」
「ええぇぇ……?」
 露骨に不満げな声を上げ、ココロは表情をゆがめた。
「あーしは今のダラダラした生活が性に合ってるッス。都であくせく働くのは嫌ッス。働かずに食うメシの味は素晴らしいッス」
「…………」
「泥のように過ごすッス。安逸を貪るッス。ニート最高うぇーい」
 ロゼは「ふう」とため息をつき、こめかみを押さえた。
 魔王を追っていた頃の熱はどこへやら。あまりの落差に、見ている側の方が情けなさを覚えるほどである。
「んーでも、体も良くなったことだし、お母さんの様子でも見に行くとするッスかね。お金持ってないからちょい心配ッスけど」
「貴女、なにかやりたい仕事はないの?」
「喫茶店のウエイトレスさんがいいッス」
「そう……」
 ――似合わない。という言葉を、ロゼは呑み込んだ。怠け者のココロを動かすには、好きなことをやらせておくしかない。
「……わかったわ。ウエイトレスでもメイドでもベアーガールでも何でもさせてあげるから、ついてきなさい」
「なんで熊? そこはベアーじゃなくてバニーガールじゃないッスか?」
「貴女に兎が似合うわけないでしょう。熊で十分よ」
「そりゃあんまりッス」
 ココロはふてくされて頭を掻いた。その様子を見て、ロゼが嬉しそうに微笑む。
「いずれにしても、そのままでは駄目ね。私の隣に立つんだもの。それなりの物を着てもらわないと。髪も少し上げた方が可愛いわ」
 ロゼはココロの髪に両手の指を差し込み、ゆっくり梳いて前髪を上げた。
「おおっ。なんか懐かしいッス」
 人に髪を梳いてもらうのは、旅立つ前フィーナにしてもらって以来。隠れていた双眸があらわとなり、ココロはまぶしさに目を細めた。
「出発は明日にしましょうか。準備しておいてね、ココロさん」
 ロゼが言って、くるりときびすを返した。
「待ってくださいッス」
 颯爽と歩き出すロゼの背中を見て、ココロがようやく重い腰を上げる。
「ロゼちゃん。置いていかないでほしいッス。ここ熊とか出るんスよ」
 背中を深く丸めたまま、ココロはぬらりと立ち上がった。眠そうに肩を揺らして、ゆらりゆらりとロゼを追いかけていく。
「おっと」
 ふと、誰かの視線を感じてココロは振り返った。
 ――そこに人の姿はない。無人の野をしばらく見つめ、寂しげに微笑む。
「フィーナちゃん。行ってくるッス」
 その呼び声に応える者がいないことを知りながら、ココロはフィーナの名前を呼ぶ。返事か来るのをじっと待ち、やがて小さく首を振った。
「行ってくるッス」
 ――歩き出す。親友に別れを告げて。

 果たして本当にフィーナは存在したのか。
 答えは否。誰が見ようと死者の霊など立ってはいない。
 そこのあるのはただ足跡のみ。
 ココロ・ニルーファの歩んできた足跡。偽りの勇が紡いだ物語。

 そして始まる。
 まだ見ぬ世界の果てへと続く、勇気ある者の物語――。



・あとがき


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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

サトルカゲユウ 終章の2

 ――そこは魔城の中庭。偽勇者ココロと業魔女王メビスが死闘を繰り広げていた決戦の地。
『繰り広げていた』と過去形にするのはまだ早い。舞台は未だ死闘の渦中にある。
 心当ての一撃を受け、ココロの意識は混濁状態にあった。一方のメビスはココロから離れ、ほぼ無傷でその場に佇んでいる。背中の触手こそ再生していないが、右肩に受けた切り傷は血が止まり、動かせるほど回復していた。
 心臓を貫かれてなどいない。全てはメビスが見せた幻覚。『魔王を倒した』という幻を見せることで、ココロの気力を奪い尽くそうとした。目標が達成されたと思い込めば、その時点でココロは力尽きると考えての一手だった。
 結果。メビスの目論見は外される。
 ココロは生きていた。二本の足でしっかりと立っていた。
 ――奇跡ではない。
 奇跡と呼ぶにはあまりにも危うい。肉体は限界を超え、生命力も残りわずか。今をもって絶体絶命の状況になんら変わりはないのだ。
 ――必然でもない。
 必然とするにはあまりに理不尽。命に代えても救いたかった友達は死に、死を求め続けた自分が未だ生きている。このような皮肉に満ちた『必然』などあってはならない。
 奇跡でも必然でもない。偶然、ほんのわずかに生き長らえただけ。
 そのわずかな時間で、ココロは最後の賭けに挑む。自ら封印していた禁じ手を、解放するときが来た。
「あーしの思い出……」
 ココロの左手が静かに動き、自身の頭をつかんだ。
「心の欠片……!」
 その手から赤い霊光がほとばしり、ココロの脳へと叩きつけられた。
 エネルギーは一回分しか残されていない。正真正銘最後の心当て。侵されたココロの脳を、かつての状態に上書きしていく。
「うあああああああっ!」
 耐え難い激痛がココロの体を襲った。
 指が。腕が。胴が悲鳴を上げる。刻み込まれた戦いの傷が、神経を蝕んでいく。
 がくがくと全身を震わせた後、ココロは何度も瞬きを繰り返した。その瞳に、失われていた光が再び宿り――――。
「戻ってきたッス」
 ――戻ってきた。今再びこの戦場に。沈みかけた心を拾い上げて。
 ココロが魔王に剣先を向け、真っ直ぐ伸ばした。柄に結われた鈴が揺れ、チリンと小さな音を奏でる。
「――――メビス!」
 眼光鋭く討つべき悪をにらみつける。その迫力に気圧されてか、メビスが一歩後ずさりした。
 ココロの体には新しいものが芽生えていた。それは痛覚。連戦により負った傷が危険信号を送り続けている。
 吐き気とめまいがするほどの痛みに、ココロは歯を食いしばり耐えていた。
「なんじゃと……」
 メビスの眼に、初めて動揺の色が浮かび上がった。
「わらわは確かにそなたの心を打ち砕いたはず……。その上でそなたにとって都合の良い夢を流し込み、永久の眠りにつかせた……」
「確かに。いい夢だったッス」
「なにゆえ戻ってきた? なにゆえ立ち上がれたというのか。皆目わからぬ……」
 メビスの手が震えていた。一撃必殺の技を破られ、絶対の自信に揺らぎが生じていた。
「折れたさ。こっぴどく。でも、何度心を折られても関係ねーッス。あーしは一人じゃない……! 心砕かれても、それを繋ぎとめてくれる友達がいる……!」
「たかが思い出の一端に過ぎぬ存在を、未だに友とぬかすか」
「あーたの言う『たかが思い出』ってやつを、あーしは死んでも忘れねーのさ。ずっとフィーナちゃんの想いと一緒に戦ってきたんだ。この想いは消させたりしないス。絶対に……!」
 ――勇者はここにいる。ずっとココロと共に在る。
 遠く離れてしまっていても、心の根は今もずっと通じ合っている。真の勇者であるフィーナが、久方の空から見守ってくれている。
 固く結ばれた絆が、ココロ・ニルーファに限りない勇気を与えた。
 そして始まる。心読みの最終段階――――。
「愚かな……。心と未来の読めるわらわに、如何な術も通用はせぬ」
 メビスが右手を肩の高さまで上げた。筋を断たれ動かなくなっていたはずの腕が、もう回復している。人の常識では計り知れない、驚異的な再生力だった。
 そこから繰り出されるのは必殺の手刀。遊びではない全速の一撃。
 空を裂き、人間の反応速度を超えたスピードでココロの首へと迫る。
「おっと」
 それまでのココロであれば、手刀の直撃を受け絶命していただろう。
 だが、わずかに身を引きココロは避けた。メビスが放った手加減抜きの一撃を、完璧に見切った上で。
 人の体にはリミッターが備わっている。筋肉も脳も、負担がかかり過ぎないよう機能を制限されている。
 そのリミッターをココロは解除した。先刻の心当てによって。
 そして手に入れた。フュラーにすら比肩するほどの圧倒的な速度。圧倒的な力。
 それでようやくメビスの足元に及ぶ。まともな戦いができる。
「見えるッス――――!」
 メビスが次々に高速の突きを繰り出す。その全てを、ココロはことごとく回避した。
「見える……! 壊れていた心が……! あーたの悲しみが……!」
 かわしているばかりではなかった。その目でメビスの心を読みきっていた。
 心読みの最終段階。それは精神構造の異なる相手とも通じ合える力。調和を求めるフィーナの祈りがもたらした天恵。
 わかり合えないはずの者とも心を通わせることができる。相手がメビスでも。動きを先読みして戦うことができる。
「あーしたちはおんなじだ……。他人の心を知りながら、それでも分かり合えない!」
「小娘が……知った口を利くでない!」
 メビスが語気を荒げた。
 常に余裕の態度だった魔王が、初めて見せた激情。心の揺らぎ。
「あーしがまだ未熟だった頃、よく師匠のじーさんに『重心の配分が甘い』って叱られたッス」
「戦の最中に苦労話か! 随分と余裕ができたものよ!」
「メビス――」
 ココロの左手がメビスの胸倉をつかんだ。心当ての一撃を警戒し、メビスが飛び退くだろうと予測しての一手だった。
「ぐぬっ」
 メビスは上体をのけ反らそうとした。その動きに合わせてココロはさらに左手を前へと押し込んだ。
 並の戦士であれば、そのままココロに押し倒され、天を仰いでいただろう。しかしメビスは素早く足を後方へ引き戻し、ココロの突き押しに耐えた。
 ――ここまで全ての動きがフェイント。メビスの体勢を崩すための罠に過ぎない。
 押し込んでくるココロの力に耐えるため、メビスは体重を前へと預けている。それはココロにとって、投げ技を決める絶好のチャンスだった。
「――重心の配分があめぇス!」
 右手でメビスの腰をつかみ、同時に左手で首を上から押さえつけ、斜め下方向へと引き落とす。
 力と技、タイミングが重なり、メビスの片足が浮いた。残った足でこらえようとするも、体は大きく前方へと流れており止まることなどできない。
「うぐっ!」
 頭から倒され、顔面に土をこびりつかせてメビスがうめく。
 ココロが初めてメビスからダウンを奪った。その意味は重く、戦いの最中にある二人は激しく士気を高揚させた。
 固く歯ぎしりし、瞳に闘志を燃やす両雄。真に凄絶な死闘が、これから始まろうとしていた。



 魔城の大広間にてココロと別れたロゼは、フュラーと共に城門近くまでやって来ていた。名残を惜しむかのようにゆっくりと歩き、並んで門へと向かっていく。
 ココロが通ったときに居た無数のカラスたちは、何処かへ姿を消していた。本能で何かを察知し、逃げ出してしまったのだった。
「ココロさんは、帰ってくると思う?」
 不安を隠せない面持ちで、ロゼがフュラーに問いかける。
「ココロ・ニルーファは、この日のために生きてきたのでしょう。それから先のことはわかりかねますが……未練があれば帰ってくると思います」
 冷静な口調でフュラーが語ったのは精神論。彼は死の淵を越えた向こう側から帰ってくることができた。強い未練をその胸に抱いて。
 ココロ・ニルーファも同じであると信じている。人の想いが勇者を守ってくれるだろうと、フュラーはそう信じている。
「――お嬢様、お待ちください」
 唐突にフュラーが言って、ロゼは足を止めた。
 城門の壁に一人の男がもたれかかっている。青い顔の長身――――魔族。
 頭と手に包帯を巻いた魔族の男が、一人静かに佇んでいる。ひどい怪我をしているのか、頭の包帯には青い血がにじみ出ていた。
 フュラーがじりじりと城門に接近し、ロゼはその後ろに続いた。気配を察してか、魔族の男が緩やかに顔を上げる。
「そう殺気立つな。なにもしない」
 壁に体重を預けたまま、魔族の男が言った。
「したくとも無理だ。勇者にあちこちへし折られてな。痛みに耐えるのがやっとの有様だ」
 魔族の男は包帯が巻かれた右手を軽く上げ、それから苦しそうにアバラを押さえた。
「魔王の血縁者よ。名前は確か……マドゥ、さん?」
 ロゼがフュラーを手振りで制し、魔族の男――――マドゥに問いかける。
「身の上を明かした覚えはないが……まあ、そうだ」
 いつの間にか情報収集を済ませていたロゼのしたたかさに、マドゥは苦笑するしかなかった。
「女王の加勢に行かなくていいの? そんな体でも、盾の代わりくらいはやれるでしょう?」
 挑発的なロゼの言葉を受け、マドゥは首を横に振った。
「あの二人は、俺が死に目に立ち会うことを望まないだろう。だから決着の時までここで待つ」
 マドゥが言った直後、城の奥から凄まじい轟音が響き、足元が大きく揺れた。一陣のつむじ風が吹き抜け、魔城の方向へと砂嵐を運んでいく。城で何か急激な気圧の変化が起きたようだった。
「今のは?」
「どうやら、始まったようだな。大規模破壊用の能力だろう。一対一ならばそうそう当たりはしない」
 ロゼの問いに、落ち着いた口調でマドゥが答えた。
 ココロが戦っている。最後の戦いに挑んでいる。もう誰にも止められない。
 敵は当代最強の魔人。勝つにしろ負けるにしろ、無事で済むはずがない。
「フュラー。ココロさんのために、最高の医師たちをここへ呼んできなさい」
「ですが、お嬢様は……」
「私のことは心配しないで。この人に守らせるから」
 ロゼはマドゥに目配せをした。マドゥが「おいっ」と声を上げたが、聞く耳持たないとばかりに首を横へと振る。
「承知いたしました」
 フュラーの体が影に溶け込み消えた。その様子を傍で見ていたマドゥは、目をこすって何度も瞬きをした。
「恐らく無駄になるぞ。俺の見立てでは、勇者が勝つ可能性は万に一つもない」
 フュラーの姿を探しながら、硬い口調でマドゥが言った。
「そう? 私の見立てでは、必ずココロさんが勝つわ」
「それはいささか贔屓目が過ぎる」
「正直なところ、戦いのことについてはよくわからないわ。もしかしたら貴方の言うとおり、ココロさんが生きて帰れる可能性は万に一つかもしれない」
 遠い星空を見つめて、ロゼが小さく息を吸い込む。
「それでも、信じて待つわ。私はあの子のお友達だから」
 つぶやいたロゼは、真っ直ぐな目をしていた。
 疑わない――というよりは、星に祈るような表情だった。
 マドゥはロゼと同じ空を見つめ、短くため息を漏らした。
 無言のまま時間だけが過ぎていく。
 言葉を交わさないまま、考えることは同じ。偽りの勇ココロ・ニルーファと、業魔女王メビスの勝負について。
 ココロが勝利する確率は限りなく低い。フュラーが敗北する姿を目の当たりにしたロゼも、そのことを十分に理解している。
 それでも、信じるしかない。ココロが帰ってきたときのために人事を尽くす。ロゼはそのことに強い使命感を抱いていた。
 マドゥもまた、ココロの生存を望んでいた。メビスの勝利はまず間違いないだろうと思いながら、心のどこかで両者共に生き延びてくれることを願っていた。
「……なんだ?」
 ――突然城から鳴り響いた凄まじい破裂音が、二人の思考を妨げた。ビリビリと空気がしびれ、マドゥがわずかに表情を曇らせる。
「神声雷咆か……? 一対一であれを使わせるとは……」
 驚くマドゥをよそに、ロゼは不安で居ても立ってもいられなかった。組んでいた腕を解き、魔城の方へと歩き出しかけ……奥歯を噛んでその場に踏みとどまる。
 立ち入ればココロの足手まといになる。心配する気持ちを押し殺して、ロゼはじっと耐えた。
 固く拳を握り締め、魔城をにらみつけるロゼ。
 ――――その視線の遥か上空で、新たな異変が起こっていた。
「あれは……!」
 マドゥが叫び、魔城の上空を見上げた。星空がぐにゃりと歪み、渦を巻いて赤く染まっていく。
 その色に。夕焼けとは違う赤に。マドゥは見覚えがあった。
 魔族が三百年の長きに渡って見続けてきた悪夢。
 ――異界の空だった。


 皆、何かの予兆を感じたのか。
 夜明け前にもかかわらず、王国に住む多くの人々が『それ』を目撃した。
 王城の窓から外を見つめる国王の目に――。
 朝の仕込みを行うため、水汲みに出たパン職人の目に――。
 胸騒ぎを覚えて家の外へ出たココロの母の目に――。
 未来を信じ、都で革命運動に勤しむみすぼらしい少女の目に――。
 王国軍前線基地にて兵たちの指揮を取る若い隊長の目に――。
 都へ向かい人間の限界を超えた速度で走り続けるフュラーの目に――。
 ――映り込んだ。夜空に浮かぶ不気味な紅の光が。


 魔城の上空を見上げるロゼとマドゥ。その目に飛び込んできたのは、夜空の中天にぽっかりと開いた大穴。その向こうに見える、不吉でおぞましい紅の空。
「紅い空だと……! これは、まさか……!」
 空が変わった。その意味を知るマドゥは、激しく狼狽した。
「勝負が……終わったのか……!」
 異界の景色がこの世に顕現している。それはつまり、存在解放能力が発動したということ。魔王メビスの存命を意味する。
「ココロさん……」
 ロゼがふらりと歩き出し、とり憑かれたように魔城の方へと駆けていった。
「おいっ! 待て!」
 あわててマドゥがその後を追う。
 健常であればロゼに追いつくことは難しくなかっただろうが、今のマドゥは満身創痍。走る振動で折れた肋骨に痛みが走り、速力を上げることができない。
 瞬く間にロゼの背中が小さくなり、マドゥは苦しげに歯噛みした。
 遠い東の雲が、朝焼けの色を映し始めていた――。



「うぐっ!」
 ココロの投げを受け、メビスが顔面から地面に倒れ込んだ。
「ぐっ……!」
 しかしうめき声を出したのはココロの側も同じ。全身のいたる箇所から激痛が走り、体の自由を奪っていく。
 痛覚を蘇らせた代償。これまで受けてきた全てのダメージや、リミッターを解除して動き回った反動が、大挙してココロに襲いかかった。
「いっつ……!」
 脊椎を駆け抜ける痛みに、ココロは苦悶の声を上げた。
 痛覚を復旧させたとはいえ、動き回れる程度には痛みを抑えてある。それでも、慣れない感覚であることに違いはない。
 折れた骨が。炎症を起こした関節が。服とこすれ合う擦過傷が。ココロの精神を苛んだ。
「はっ」
 倒れていたメビスの体が跳ね上がり、足から地面に着地する。
 立ち上がったメビスはココロと向かい合い、そこで気づいた。ココロが苦痛の表情を浮かべていることに。
「なぜ痛覚を回復させたのじゃ! なぜあえて苦行の道を選ぶ! 無意味どころか不利になるであろうが!」
 メビスは恐れていた。
 ココロがメビスを恐れたように。
 理解できないものを人は恐れる。拒絶する。それは魔人であっても同じ。
 ココロの行動は、メビスにとっておよそ理解しがたいものだった。
「知りたいッスから。みんなと同じ痛みを」
 メビスの心を読めなかった理由について、ココロが導き出した答え。メビスの心が狂気に支配されているからだと思っていたが、ココロはその考えを修正した。問題はむしろ自分の側にあるのだ、と。
 ココロはメビスを拒絶していた。理解できるはずがないと断じていた。心に壁を作っていたため、心読みが正しく作用しなかった。
 夢でフィーナと再会して、ほんの少し気持ちが柔らかくなった。魔族とも分かり合おうとしていたフィーナの姿を思い出し、ココロはそれに倣おうとした。
 今なら、わかる。メビスの想いも。その痛みも。
「愚かなり……! 愚かなり……! それを狂気と言わずして、なんと呼べばよいのか……!」
 ――それは勇気と呼ぶのだ、と。メビスの問いに心で答える。
 偽りの勇者であるココロだったが、今この瞬間だけは誰よりも真に勇敢で誇り高い。フィーナやロゼですら追いつけないほどに。
「心の上っ面だけを汲んで、たったそれだけで他人を掌握したような気持ちになる。そいつは思い上がりッス。心の動きを読むことと、相手を理解することは、似ているようで全く違うッス。あーしにゃそれがわかったんスよ」
「人間など、信を貫けぬ不義者ばかりじゃ。三百の年が過ぎれどなにも変わらぬ。ならば理解など不要……!」
「痛みを感じない心と体で、全部知った風な顔してんじゃあねーッス……!」
 ココロの回し蹴りとメビスの平手打ちが同時に放たれた。どちらの一撃も、受け止めれば骨が砕かれるほどの破壊力を有している。
 二人はあえて踏ん張らず、攻撃の流れに沿って大きく吹き飛ばされた。自ら飛び退くことで衝撃を逃がし、すぐさま体勢を立て直す。
「あーしはもう逃げない……! この痛みからも、みんなの気持ちからも、そしてあーたからも……!」
 剣の柄をがっちりと両手で保持し、ココロは突進した。全体重を刀身に乗せて前へ。
 正面にはメビス。ココロよりほんのわずかに立て直しが遅れ、ほとんど棒立ちの状態でその場に止まっている。
 優位を得たココロに焦りはない。重く鋭く無駄のない突き込みで、正確にメビスの胸を捉える。
 鈍い手応えがあって、鈴鳴りの剣がメビスの胸部を刺し貫いた。青黒く血に染まった剣の先端が、背中側から顔を出していた。
「くっ……! ははははっ!」
 心臓を貫かれて、魔族の女王は狂笑を浮かべた。
「効かぬ!」
 叫び、踏み込む。刀身の中ほどまで刺さっていた剣が、ずぶりと根元までメビスの体に沈んでいった。
 青い血を吐き出しながら、メビスがいびつに歪んだ魔手を伸ばす。蠢く指が、鋭い爪が、ココロの首筋に触れ――。
「――そうさ。あーたを殺すのは、こんな技じゃないッス」
 一時も怯まず、ココロは左の手で殴りかかった。斜めに打ち下ろすストレートパンチが命中し、メビスの体を後方へと押し戻す。勢いよく剣が引き抜かれ、青黒い体液が散った。
「愉快……愉快……!」
 喜悦の笑みをたたえ、メビスはその場に踏みとどまった。傷口周りの筋肉が収縮し、わずか数秒で出血が押さえ込まれる。
「神声雷咆!」
 音の爆発がココロに襲いかかった。空気が激しく振動し、景色がかすみがかったように歪む。
 神声雷咆。爆音による範囲物理攻撃。
 メビスの口から放たれた凄まじい咆哮が、周囲の全てを破壊していく。草は千切れ、小川の水がバチバチと跳ね、魔城の壁面にひびが走る。
 ――次の瞬間。ココロの足がメビスのあごを跳ね上げていた。
 音の攻撃もココロには通じていない。耳を両手で塞ぎながら、飛び蹴りのカウンターを叩き込んでいる。
「でかい声ッスね。耳塞いだのに、しびれちまった」
「ぬう。奥の手すらも……!」
 言葉を交わし、肉薄する両者。
 親友――そして師の想いを継いだ鈴鳴りの剣と、極限まで硬化されたメビスの手刀が火花を散らす。風圧で両者の頬が薄く裂かれ、赤と青の鮮血を舞わせた。
「偽者が本物を超えるか……! やはり予言書の導に逆らうべきではなかったと……!」
 偽りの勇と孤独なる王。どちらも共に紛い物である。
 勇者の影武者であったココロは言うに及ばず。臣民なき王もまた王とは呼べない。
 偽者同士。紛い物同士。しかしどちらも圧倒的に強い。本物を大きく凌駕するほどに強い。
「認めぬ! 認められぬ! 命運を分かつのは……予言書に記された戯言などではない! 己であるべきじゃ! そうであろう!」
「その予言書は、あーたが書いたモンじゃないッスか」
「そうじゃ。確かにわらわは未来を見た。そのとき映し出された光景の中で、わらわと戦っていた相手は、そなたではなかった……!」
「フィーナちゃん……ッスか」
 ココロの中で、そのことに対する違和感はまだ拭い去れていない。
 魔王メビスを相手どり、フィーナがどのように勝利したというのか。まるで想像がつかなかった。
「あーしが勝てば、わかるのかな。なんでフィーナちゃんが勝てたのか」
 業魔女王メビスの心臓は三つ。一つはフュラーに潰され、一つはたった今ココロに刺し貫かれた。
 残すは一つ。それさえ破壊してしまえば、この戦いは終わる。
「勇者は死んだ! もはやわらわを止められる者など存在はせぬ! 今なら見えるぞ……! 戦火に包まれ滅びゆく、この世界の末路まではっきりと!」
 メビスは高らかに笑い、胸の傷口に左手をねじ込んだ。ぐちゃりというおぞましい音が響き渡り、メビスの口から大量の血があふれ出た。
「くくくっ……」
 たった今刺されたばかりの心臓を引き抜き、高く天へと掲げる。未だ活き活きと脈打つそれを、メビスは自身の手で握り潰した。
 飛散した青黒い体液が、メビスの顔に点を打つ。猟奇的光景を目の当たりにして、ココロは半歩後退した。
「時は満ちたり! 来たれ冥獄の扉よ! わらわの血肉と魂魄を糧に!」
 その瞬間、メビスの背後にある景色が蠢いた。
 メビスの後ろだけではない。視界に映る全ての背景が、不気味に変化し始めていた。
 歪み、捻じれ、曲がって、堕ちる。
 原形をとどめているのはココロ自身とメビスのみ。
 足元にあった花や小川もいつの間にか消え失せ、代わりに無限の荒野が広がっている。どこか遠くから、獣の咆哮が不気味に響いていた。
「生き胆の再生には時を要するのでな。潰れた心の臓がまだ新鮮な内に、生け贄として使わせてもらった。勝負の途上で済まぬな」
「……何なんスかこれは」
 歪んだ空間を一瞥しただけで、ココロはすぐメビスに視線を戻した。
「聞こえぬか? 怪異どものうめきが。わらわの異能でもって、現世と異界を繋いだのじゃ。今、この場は二つの世界が融和した状態となった」
「この世と別世界を繋いだ……? 天使や悪魔でも出てくるんスか」
 ココロの問いに、メビスは首を横へと振った。
「かつて魔族は存在封印兵器によってこの世界から切り離され、異界へと飛ばされた。わらわたちはそこで見たこともない怪物どもと遭遇し、戦いの日々を強いられてきた」
「……で、こっちの世界に戻ってきたあーたは、人間への報復を考えたってわけだ」
「この世界に戻り、初めは存在封印兵器を探した。無論、人間どもを異界へ送り込むために。しかし兵器は既に存在せず、再現も不可能であった。そこでわらわは思うた。封印は不可能でも、解放は可能なのではないかとな。異界の地より怪物どもを呼び寄せ、この世に破壊と混沌をもたらす。それがわらわの目的であった」
 口元の血を拭いつつ、メビスは嬉々として語る。
「遠からぬ未来……。か弱き人間どもは異界の怪物どもに滅ぼされるであろう。忌まわしき人間どもを駆逐し、強者である魔族が明日の夜空を手中に収めるのじゃ」
「この気配は……」
 ココロが表情を曇らせた。メビスの言うことはよく理解できなかったが、恐ろしいものがこの場に現れようとしていることだけは感じていた。
 空間の継ぎ目からにじみ出るように、得体の知れない何かが堕胎されようとしている。世界の理すら変えてしまいかねない『何か』が――。
 剣聖アレキテレツから学んだ気配を読む技術が、それの接近をココロに伝えてくる。胸の奥で警戒警鐘を鳴らし続けている。
「決戦の舞台は整うたぞ。いざいざいざ! さあさあさあ! 二人ぼっちの最終戦争と洒落込もうではないか! 勇気ある者よ!」
「冗談じゃねーッスわ」
 ココロは剣を一振りした。血を軽く落とした後、刀身をゆっくりと腰帯に差し込んでいく。
 戦いの最中に剣をしまう。理解不能なココロの行動に、メビスは眉をひそめた。
「もう、一人きりで死ぬなんて寂しいことは言わねーッス。あーしたちは、沢山の心を受け取ってきたじゃないッスか」
「この期に及んで命乞いか! 振り上げた矛、もはや収められはせぬぞ!」
「今さら仲直りしようなんて、そんなおためごかしを言うつもりはないッス」
 ココロが左手の平を返し、上へと向けた。心当て発動時の構えだった。
 静かに意識を集中し、左手に霊力を発生させる。
 顕現する霊光は、心当てであって心当てではない。『それ』に使用するためのエネルギーは使い果たしている。
 ココロ自身の力ではない。ココロがこれまで出会ってきた、全ての者たちの力である。
 ココロはこれまで心読みの能力によって、他人の思念を無限に取り込んできた。マドゥが歩くごとにエネルギーを蓄えたのと同じく、ココロもまた人の心を読むたびに、想いを蓄積し続けてきた。
 曲がれず、止まれず、己を追い詰めるしかなかった魔将の信念が。
 愛に飢え、愛を切望し、人の世から全てを奪い取ろうとした少女の苦悩が。
 孤独に震える赤髪の少女を助けたいと思った、孤高に立つ戦士の想いが。
 死の宿命を背負う中で、せめて誰かを救いたいと願った勇者の慈愛が。
 人を信じ、人に裏切られ、その愛を執着へと変えた女王の悲しみが。
 息づいている。ココロの中に。
 本物の勇気を与えてくれる。もう、偽りの勇などではない。
「みんな必死で生きてんのさ。あーしも、あーたも、他のみんなも。死に物狂いさ。頑張ってんのさ。希望や悩みを抱えてるんだ。心読みで全部知ってるあーしたちがひねくれてちゃ、いい笑いもんッス」
 その手に想いを乗せて、ココロが言葉を連ねる。左手に無限の力が集まっていく。
 心当て――――だが、以前までの血が入り混じったような赤い霊光ではない。混じり気のない白が、ココロの顔をまばゆく照らしていた。
「理解し合うつもりはないし、手を取り合えるほど心が広くもない。ただ、受け取れという話ッス。あーたが殺してきた人間が、傷つけてきた相手が、どんな奴だったか……なにを考え生きてきたか……ただ思い知れと、そういう話……」
「無駄じゃ! もはや誰の言葉もわらわには届かぬ!」
「あーしは見てきた。人を。魔族を。この目で見てきた。だから伝えられる」
 心を乗せる。想いを伝える。自分の力はそのためにあったのだと、今ならば確信できる。
 疑うためではない。恐れるためでもない。
 心を読み、癒しを与える。苦しむ者の魂を浄化するために。ココロ・ニルーファは、来るべくしてこの場にやってきた。
「これが……あーたを殺す一撃だ!」
 馳せる。
 駆ける。
 ココロの左手から、白い光の尾が流れる。
 輝く純白の霊光。
 温かく、優しく、そして気高い。
 絆の強さを体現する光輝が、迷える女王を救済すべくきらめき走る。
「はっ! 生ぬるい感情をいくら寄せ集めたとて、いささかの脅威にもならぬ! そのようなもの、力ではない!」
 猛る。
 吼える。
 メビスの左手から、どす黒い闇の瘴気があふれ出す。
 収縮する漆黒の魔弾。
 強い。果てしなく強く、そして重い。
 悪しき心を練り合わせて作った暗黒が、この世の全てを否定するため暴食する。
 ――ココロとメビス。
 相反しながら求め合う。光と闇のチークダンス。
 誘われるまま二人の左手が重なる。その渾然たる想いの力を乗せて。今。
「あああああっ!」
 ――衝突。あるいは邂逅。
 炸裂音を轟かせ、反目し合う二つのエネルギーが爆散した。
 光は閃光となり、闇は影と化す。
「うぐっ……!」
 それと同時に。ココロ・ニルーファが苦悶の声を上げた。
 ――這い上がってくる。ココロの腕を。
 ジグザグに亀裂を走らせ、黒い魔力が駆け登ってくる。腕から肩――首筋――顔にまで。
「ふっ」
 まばゆい閃光に目を細めながら、メビスは笑った。苦しみ悶えるココロの様子を見て、自らの勝利を確信した。――――次の瞬間だった。
「うああああっ……!」
 ココロがさらに左手を押し込んだ。その体から黒い魔力が剥がれ落ちた。
 ――――届いていない。メビスが全霊を込めて放った魔弾は、ココロの左手にある白光を曇らすことさえ許されない。
 全て包まれてゆく。慈愛に満ちた享受の光に。
『敗北』の文字が脳裏をかすめ、メビスは戦慄した。しかし、胸の奥から湧き上がる感情は、恐怖ではなく――。
「なっ……なぜじゃ……。呑み込まれてゆく……わらわの怒りが……三百年の呪いが。こんな年端もゆかぬ小娘に……。なぜ……!」
 不意に――――。
(辛かったね……)
「――――はっ!?」
 誰かの声を聞いたような気がして、メビスは一瞬我を忘れた。
 遠い昔に見てきた『未来』の光景。ここではない可能性の世界で、メビスは出会っていた。思い知らされていた。
 辛かったね――と。涙を流しささやく少女が見せた、底知れない愛情の深さを――――。
「くううっ!」
 光に包まれ、メビスが後退した。二歩、三歩と後ずさりし、がくりと片ひざをつく。
 人知を超えた攻撃だった。悪しき力と感情を根こそぎ奪い去る一撃。心当ての派生である以上、精神面へのダメージは計り知れない。
 メビスの全身から滝のような汗が流れ落ち、地面に吸い込まれていった。呼吸は激しく乱れており、体力的な消耗も見て取れる。
 技を放ったココロ自身にも、なにが起こったのかはっきりとは理解できていない。それでも、はっきりと感じ取ることができた。戦況は今、完全に逆転したのだと。
「い、今見えたものは……」
 狼狽を隠そうともせずメビスがつぶやく。
 ――こと戦闘能力に関して、本来勇者の役目を担うはずだったフィーナはココロより弱い。それも圧倒的に。
 当然、ココロの遥か上を行くメビスには敵うはずもない。両者の差は天と地ほどもあった。
 ――が。予言書の未来では、フィーナがメビスと共死にするはずだった。
 その理由。かつて見た未来の光景を、たった今メビスは思い出した。
 戦って敗れたのではない。メビスは最期、勇者と共に在ることを選んだ。崩れ落ちる城砦の中で、たった一人自分を哀れんでくれた少女の涙を拭き取るために――――。
「そ……それでも……」
 しかしそれも、遠い過去に夢見た可能性の一端。フィーナを殺害した時点でその未来は失われている。退路をなくした魔王に、進むべき道は一つしかない。
「わらわは負けぬ! 情にすがらず生きてゆくことを決めたのは、わらわ自身じゃ! 裏切りに絶望することもあろう! 温情に胸打たれることもあろう! しかし自己への背叛だけは許されぬ!」
 メビスは自身の頭に左手を押し当てた。そこから青色の霊光がほとばしり、脳へと流れ込んでいく。思い出しかけた情を削り取っていく。
 心当て。
 ココロがそうしたように。メビスもまた、自らの心を焼くことで強くなろうとしていた。だが。
「越えてみせようぞ……未来――!」
「なにしてんスか。あーた……!」
 潜在能力の解放は、肉体に大きな負担を強いる。実際ココロの体は筋肉も関節も炎症を起こし、動かなくなる寸前まで損傷していた。
 ただでさえ強いメビスの力が膨れ上がれば、器が崩壊するのは目に見えている。それは破滅を招く一手だった。
「満ちる……! 溢れる……! これが潜在能力の解放か!」
 メビスの体がココロの鼻先まで高速移動した。
 青い血由来の異能ではない。純粋な脚力による前進である。あまりの速度に、ココロは反応することすらできない。
 始まるは死の舞踏。
 強大な武を持つ魔王が、その真なる力でもって全てを蹂躙する。
 誰にも止められはしない。メビス本人にさえも――――。
「これで四割の力……」
 メビスの手が常軌を逸した速度で突き出される。瞬時にいくつも繰り出された高速の手刀が、ココロの全身を満遍なく裂いた。
「五割……」
 メビスの放った無造作な縦蹴りが、ココロの腹部を襲う。
 ココロはとっさにみぞおちを防御したが、ガードに使った左腕は一撃で砕かれ、体も高く浮き上がらされていた。
「六割……七割……」
 メビスの足が縦横無尽に空中を駆ける。浮き上がったままのココロに、電光石火の連続攻撃を叩き込む。
 投げられ、蹴られ、叩き上げられ、ココロの体が幾度も宙を舞った。
 地に足を着けることさえままならない。全く身動きできないまま、一方的に体力を削られていく。
「八割……!」
 メビスの手刀がココロのわき腹を裂いた。傷口から勢いよく血が噴き出し、メビスの顔を赤く染める。
 かろうじて急所は外れていたが、ダメージは甚大だった。ココロは着地と同時にひざを落とし、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
「うぐ……!」
「まだ死なぬか……。ならば、九割じゃ」
 メビスの左手から紫電が放たれる。
 中庭全体を埋め尽くすほど巨大な霊光が、傷つき倒れたココロに容赦なく襲いかかった。
「ぐっ……うああああああっ!」
 紫の霊光を浴びせられ、ココロが悲鳴を上げた。
 精神攻撃ではない。メビスの手から放たれたそれは、物理的な破壊をもたらす負の霊撃だった。
「ふはは……! よい心地じゃ! 動けぬ体で受けるがよい! これが……潜在能力を全て解放した……!」
 パキンと、乾いた破砕音が鳴り響いた。
 メビスの指先が欠け落ちている。石膏像のように水気を失い、先端からパラパラと剥がれ落ちていく。
「なっ……ん……と……!」
 崩れてゆく自身の手を見つめ、メビスは驚愕の表情を浮かべた。
 腕――首――足――。メビスの全身いたる箇所が、次々とひび割れていく。もはや崩壊を食い止めることはできず、メビスは呆然と立ち尽くした。
 勝ち負けを言うならとうに結果は出ていた。ココロが純白の霊光を当てた時点で、メビスはもう余力を残していなかった。それでも限界以上に力を振り絞った結果、自らの力に耐え切れず自滅した。
「ふふ……はははは……!」
 突然に、メビスが笑い声を上げた。
「そういうことであったのか! 良い思い出がそなたの心を繋ぎ止めたのだな! 壊れた心を紡ぎ合わせ、常世の闇から舞い戻ったと! そういうことであったのだな! そうかそうか! ふふふふっ! あーっはっはっは! 道理で崩れてゆくはずじゃ! わらわの心を繋ぐものは……なにも……なかっ――――」
 ――言葉が途切れた。メビスの肉体は余さず白砂へと変じ、さらさらと地面に崩れ落ちた。
 メビスが立っていたそこには、忘れ形見のような水滴が一粒浮かんでいる。最期にそれがぽたりと落ちて、白砂の中へ吸い込まれていった。業魔女王が地上に現れて以来、初めて流した涙だった。
「ぐっ……ぅ……!」
 がくがくとけいれんする脚に無理やり力を込め、ココロはどうにか立ち上がった。
 もはや一歩も進めないその体で、それでも立った理由は敗者に対するココロなりの礼儀。
 立つことで真に勝者が決まる。長かった戦いに終止符を打つことができる。メビスは今、戦い続けた三百年の生からようやく解放された。
「メビス――――」
 業魔女王メビスの亡骸を見下ろしてから、ココロは静かにまぶたを閉じた。
 憎い仇敵だった。しかし彼女の次元を超えた強さは、諸々の感情を飛び越え敬意に値するほどだった。同じ女性として戦士として、ココロは黙祷を捧げた。
「ん……」
 ココロは異変に気づいた。歪んでいた周囲の空間が、徐々に元の形を取り戻し始めていた。
 視界に映るのは見たこともない光景。真っ赤な空に漆黒の大地。遠くには海が見えたが、血を溶かし込んだかのように赤黒かった。
 そこは異界だった。メビスの能力によって繋がれた、二つの世界の内一つ。ココロの帰るべき場所ではない。
 ふと視線を横へ向けると、一箇所だけ空間の歪みが残っているのを確認できた。十メートルほど離れた場所に、大きな穴が開いている。穴の向こうには魔城の光景。そこまでたどり着ければ、元の世界に帰還できる。
 空間の歪みは徐々に小さくなっている。楔となっていた魔王が死んだことで、空間の出入り口が消滅しようとしていた。急ぎ脱出しなければ、肉体と魂が異界に取り残されてしまう。
 しかしココロは動けない。動こうにも体力が残っていない。出口に向かって一歩進もうとしたところで、前のめりに倒れ込んでしまった。
「あー……。こりゃ帰れないッスね……」
 疲れ切った声でココロがつぶやく。
「……フィーナちゃん。キテレツじーさん。ちょっと行くのが早まったッス……。あーしの舌はまだ馬鹿になってないッスから、苦いお茶だけは……勘……弁……」
 後悔はない。勇者の代役を立派に務め上げ、魔王打倒の念願も叶った。
 ココロは満足していた。マズルガフで暮らした日々を思い返しながら、安らかな表情で眠りにつく。
 ――偽勇者の旅は終わった。
 誰の目にも触れず戦い、誰の記憶にも残らない結末を迎えて。



 ――ココロ・ニルーファは、暗闇の向こうに響く声を聞いた。
 どこかで聞いた少女の声。朦朧とする意識の中では、それが誰なのか思い出せなかった。
「いぎっ――!」
 胸を刺す痛みに脳が覚醒する。比ゆ表現などではなく、もっと物理的な痛み――怪我だらけの上半身を持ち上げられたために発生した苦痛だった。
 ――まぶたを持ち上げる。柔らかな赤い巻き毛と、白く美しい少女の顔が目の前にあった。
「ロゼちゃん……」
 ココロは少女の名前を呼んだ。
 気づけば片腕がロゼの肩に担がれており、どこかへ向かって引きずられている。
『どこか』――は、すぐにわかった。ロゼはじりじりと、空間の裂け目に向かって進んでいる。
 空間の裂け目――。その先には、現世の光景が広がっていた。ココロたちの帰る場所である。
「く……! 重いわね……! ちょっとは自分で支えなさい!」
「りょ、了解ッス」
 返事をしたものの、ふくらはぎにも腕にも力は入らない。ひざ立ちの状態で足を引きずって歩く。足の甲が地面とこすれ合い、ココロの両足から靴が脱げて転がった。
「あ、靴……」
「いいでしょ今は……! その重たい剣も捨てなさいよ……!」
 歯を食いしばりながらロゼが命令する。
「そうッスね」
 剣聖アレキテレツの魂が剣に宿っているような気もしたが、ココロはすぐに思い直した。
 アレキテレツは頑固な老人だった。彼は別れの際に「待っている」と約束したのだ。今も言葉どおり律儀に待っているはずである。魂の集う国で、ひたすら苦いお茶の用意をして。
 ココロは剣から飾り鈴をむしり取った。剣の師――――『キテレツじーさん』に胸の内で礼を言い、そっと剣を地面に寝かせる。
「なんでここへ……都に帰ったはずじゃ……」
 ロゼに引きずられながら、ココロは疑問を口にした。
「せっかくだから、魔王の死に様を目に焼き付けておこうと思ったの。間に合わなくて残念だったわ」
 見ればロゼの細いうなじには、じっとりと汗が浮かんでいた。
 長く濃密な最終決戦だったが、時間にすれば数十分程度。ロゼは全速力でこの場所まで駆けつけたのだろう。
「フュラーさんはどこに……」
「救援を呼びに行ったわ。一刻も早く怪我だらけの勇者を治療しなければならないものね」
「あーしが負けるとは思わなかったんスか?」
 ココロは不思議に思った。力のないロゼがたった一人でこの場に舞い戻るなど、自殺行為に等しい。もしもメビスがココロに勝っていれば、訪れたロゼも無事では済まなかっただろう。
「だって、帰ってくると貴女は約束したでしょう? 私との約束を破るなんて許されないわ」
 答えになっているようなそうでないような、微妙な受け答えをしてロゼは笑った。
「もう少し……!」
 空間の裂け目は、ココロとロゼがギリギリ通れる程度の大きさにまで縮んでいた。
 もはや一刻の猶予もないが、ココロたちの進むペースは極めて遅く、あと一歩届きそうにない。
 あと一歩。届かない。歪みは徐々に小さくなり、ココロたちの目の前で閉ざされようとしていた。
 ――そのとき前方に男の影が現れた。空間の裂け目から身を乗り出し、ココロとロゼに向かって手を伸ばしてくる。
「つかまれ! 勇者!」
 ――男はマドゥだった。
 ココロは迷わず伸ばされた手をつかんだ。力強く引き寄せられ、体が一気に前へと流れる。
「せーのっ」
 ココロとロゼは最後の力を振り絞り、異空間から外へ脱出した。出ると同時に力尽き、二人で前のめりに倒れ込む。
 空間が大きく捻じ曲がり、歪んだ部分の端からじわじわと形を取り戻していく。すぐ真後ろにあったココロの剣と靴――その向こう側に倒れた魔王の亡骸も、歪んだ空間と共に消滅した。後には瓦礫の散乱した魔城跡だけが残っている。
「くはっ。はあっ。……助かったス」
 うつ伏せに寝そべったまま、ココロが礼を述べた。
「はあっ。……はあっ。どう……いたしまして……」
 激しく息を切らせながらロゼが応える。体重百キロ近いココロを引きずって歩くのは、小柄な少女にとって大変な重労働だった。
「あーたも……」
 ココロが顔だけを上へ――マドゥの方へと向ける。
 マドゥはココロたちに気を払わず、消えていった空間の先を見据えていた。
 ――瓦解した魔城。壁は半分以上も崩れ落ち、城の背中側はほとんど開かれている。その向こうに、雄大な山の景色が広がっていた。
 残された戦いの爪痕が、死闘の凄まじさを物語っている。勝利した事実が、ココロ本人でさえ信じられなかった。
「母上は死んだか」
 マドゥの問いに、ココロはなにも答えられなかった。
 本懐を遂げ復讐心の消えた今、思い浮かぶ言葉はなにもなかった。
「そうか……」
 沈黙を肯定と受け取り、マドゥは瞑目した。まぶたを閉じたままじっとうつむき、死者への黙祷を捧げる。
「……これから、どうするつもりッスか」
 マドゥが開眼するのを待ってから、ココロは尋ねた。
「戦没者の供養をして回る」
「あーた、魔王の直系ッスよね。その、魔族の仲間を面倒見なくていいんスか?」
「元老院からすれば、魔王の子供など居ても邪魔なだけだ。第一俺は、政治のことに疎い」
 ロゼがそっとココロの耳元に顔を近づけてきた。マドゥの処遇について、なにか言うべきことがあるようだった。
「魔王の子供なんか連邦国へ連れて行ったら、戦争の責任を押しつけられて殺されるわ」
 ロゼが控えめに耳打ちする。
「ふーん。そーいうもんスか」
 それも悪くないと思うココロだったが、救われた義理もある。どの道動けないこともあって、今回だけはマドゥを見逃すことに決めた。
「死にたくなったらあーしのとこに来な。またいつでも相手になるッス」
 うつ伏せに倒れて動けないままココロが言った。
「楽しみにしておこう」
 悲しげに微笑んでマドゥが応える。ほんのわずかな表情の変化だったが、瞳の奥にはかすかな光が宿っていた。
「また会おう。ココロ・ニルーファ。偽りの勇よ」
 くるりときびすを返し、マドゥはゆっくりと立ち去っていった。
 全てをなくした痛みはココロにもわかる。ココロの場合は復讐心により生き長らえたが、マドゥからはそれすらも感じられなかった。
 早まった真似をしないかどうかだけが心配だった。あれほど憎んだ相手だが、今は不思議と死んでほしくなかった。
「ロゼちゃん。感謝するッス」
 ココロは体を反転させあお向けになった。痛みに耐え、表情をゆがめながらどうにか上半身を起こす。
 ――直後。不意にロゼがココロの体を抱き締めた。
 裂傷――骨折――関節の挫傷――傷だらけの体を、凄まじい激痛が駆け巡る。ココロは思わず「ひっ」と悲鳴を上げ、金魚のように口をパクつかせた。
「よかった。無事で……」
「いってて。痛いッスよロゼちゃん。いや、マジで。あっちこっち大怪我してるんスから」
「我慢なさい。心配かけさせた罰よ」
「たはは……。ごめんなさいッス」
「えっ?」
 ロゼはいきなりココロを突き離した。
「ぎゃふっ」
 苦痛に表情をゆがめるココロ。体力の消耗は限界まで来ており、少女の力にさえ逆らえない。
 ロゼは目を丸くして、何度もまばたきを繰り返した。ココロをじっと凝視し、放心気味に動きを止めている。
「おーいてて……。どうしたッスか、きょとんとして」
「その……貴女が笑ったの、初めてだったから……」
「そういえば、ここ十年くらいは笑った記憶がないような気もするッス」
 ココロは頬を緩め、照れ笑いのような表情を見せた。とても懐かしい感覚だった。
「帰ってこれたんスね、あーしは……」
 彼方に見える山間。目映い朝日が顔を半分出している。
 雄大な山のシルエットを映す白い朝空。その美しさに、ココロはしばらく酔いしれた。
 幸せなど求めない。求めてはいけないと、ずっと自分に言い聞かせてきた。なのに気づけば、それはココロの手元にあった。
 胸に抱くロゼの温かさが。大自然の美しさが。頬をなでる風の香りが。たまらなく愛しかった。
 ココロ・ニルーファは、役目を果たし帰ってきたのだ。燦然と輝くこの世界に――――。


・エピローグ


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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

サトルカゲユウ エピローグ

 ――かくして。
 偽勇者の冒険は終わりを迎え、世界に平和が訪れた。
 魔王メビスが死んだという一報を受け、魔族らは連邦国に投降。終戦の運びとなった。
 そして、魔王を倒した勇者ココロ・ニルーファの名は、誰にも語られることのないまま露と消えた。


 それは勇者となった少女が末期に見た幻夢か。悪夢か。
 遠い宇宙の果て。無限の青空だけが広がる悠久の場所に、ココロは一人立ち尽くしていた。
 立っている――のかどうかはココロ自身にも判断がつかない。上下の感覚はあるが、踏みしめている場所は大地でなく空。浮いているようだが、しかし浮遊感はない。
「ココロちゃん」
 誰かに呼ばれてココロは振り返った。旅の始まりからずっと追い求めてきた顔が、そこにあった。
「頑張ったね。ココロちゃん。本当に、よく頑張ったよ……」
 そこに立っていたのはフィーナだった。目尻に涙を浮かべ、笑顔とも泣き顔ともつかない表情でココロだけを見つめている。
 マズルガフで死別して以来の再会に、ココロは表情を和らげた。
「……疲れたッス」
 つぶやいて、フィーナの目を見つめる。相手が霊体だからか、この場所が現世でないためか、心読みの能力は発動しない。ココロはむしろ、安心してフィーナと目を合わせることができた。
「戦いは、終わったんスね」
 それは皮肉にも、予言書に記されたとおりの結末だった。勇者と魔王の相討ち。ココロが本物でなかったにもかかわらず。
 偽者のココロにとって、その結果は上出来と言えるものだった。命尽き果てるまでメビスと戦い、そして魔王打倒を成し遂げた。
 ココロは疲れていた。疲れてはいるが、それは達成感に満ちた心地良い疲れだった。
「行こっか」
 フィーナが言った。
「どこに?」
 当然に疑問をココロが返す。しかし、聞かなくとも直感的に答えはわかっていた。
「天国。迎えに来たんだよ、私」
 想像通りの答えが返ってきて、ココロ小さくうなずいた。
(ココロちゃん。今までお友達でいてくれてありがとう)
 そのとき不意に、ココロの脳裏を思い出がよぎった。
 マズルガフを出たあの日。フィーナと交わした最後のやり取りを、ココロは鮮明に思い出していた。
(――――あなたは逃げて。私の分も生きて)
 あのときと同じ。目の前のフィーナは、どこか悲しげで辛そうだった。
 その表情を見て、ココロはある考えに行き当たった。
「ひょっとして、あーし……しくじったんスか?」
 ココロの問いに、フィーナは目を逸らした。「あちゃあ」とつぶやいて、ココロが手の平で顔を押さえる。
「――そう。魔王はまだ生きてる。ココロちゃんは負けたの」
 遠慮がちにフィーナが言って、ココロの顔を覗き込んだ。
「すぐ言えなくてごめんね。でも、魔王が倒れてないって話したら、ココロちゃんガッカリするんじゃないかと思って……」
「ガッカリなんてもんじゃないッスよ。はぁ……。あんだけ頑張ったのに、マジッスか」
 ココロは肩を落とした。どんよりと暗いムードが漂う。
「んーで、フィーナちゃんはあーしを慰めに来てくれたッスか?」
 ココロが顔を上げる。その問いに、フィーナはポンと手を打った。
「えっとね、選んでもらいに来たの。ココロちゃんがこれからどうしたいか」
「選ぶ?」
「私と一緒に天国へ行くか、生まれ変わって違う人生を始めたいか」
 突きつけられた選択に、ココロは戸惑いを覚えた。
「私が天の使いっぽい人からお奨めするよう言われたのは天国行き。魂の国で、永遠の幸せと安らぎを得られるの。もう二度と、何かを失うことも絶望もしない」
 どこかに書かれた説明文を朗読するような口調で、フィーナが言った。『幸せ』を口にしながら、その声に熱はこもらない。
 ココロは押し黙った。口を閉ざし、これまで歩んできた道のりを思い返す。
 多くの悲しみがあった。多くの失望があった。痛みを味わい、未来への不安に怯えてきた。笑うことすらできなくなってしまうほどに。
「フィーナちゃん」
 ココロは答えを決めた。力強く目を見開き、フィーナに向けて口を開く。
「あーしは自分の人生が大嫌いッス。この世で一番大嫌いッス。お母さんの元を離れたときも、フィーナちゃんを守れなかったときも、メビスにまるで歯が立たなかったときも、自分で自分をぶん殴ってやりたいと思ったッス。生きてきたことを死ぬほど後悔してきたッス」
「じゃあやっぱり……」
「まだまだお断りッスね、天国行きは。もう一度人生をやりたいッス」
 ココロの意外な言葉に、フィーナはぽかんと口を開けた。
「……また絶望するかもしれない。今度こそ立ち直れないかもしれない。それでもココロちゃんは、人であることを望むの?」
 ココロは幾度となく自分自身を呪ってきた。人生をやり直したとして、また同じ痛みを味わうだけかもしれない。けれど――。
「賢くて偉い人たちはみんなこう言うッス。人生に意味なんかない……って。そういう人たちだったら、迷わず天国行きを選ぶんだろうなぁ」
 意味のないことを繰り返すはずがない。意味のないことに執着するはずがない。ならばためらわず天国へ向かうだろう。
 しかしココロは少女である。十八歳である。無意味だったと断ずるには、あまりにも幼い。
「あーしは天国行きを蹴ってでも、人として生きたい。いろんなものを……この手でつかみ取りたい。抱きしめたい。愛したい。守りたい。なーんにも叶わないかもしれないッスけど、それでも」
 守れなかった想いを。約束を。今度こそ守りたい。その先に何が待ち受けているか、わからなかったとしても。
「こう考えるのは、あーしが未熟だからなんだろうな。悟りが開けてりゃ、俗世の欲なんざに惑わされはしないはずッスから」
 人生に意味がないという言葉は正しいのだと、ココロはそう思っている。その思想に至った人間が天国へ往けるのだと。
 しかし同時にこうも思う。その諦念は人間らしくないと。人間はもっと卑怯で、愚かで、気楽に、滑稽に、楽しく、せせこましく、のんびりと――。
 かくあるべきだと思っている。答えを出すばかりが人の生き方ではない。
 人はすぐに驕り昂ぶると、ロゼは言った。
 改悛が必要なのではないかと、マドゥは言った。
 間違えるのだ。人は。どれほど強い確信に満ちていたとしても。
「あーしは自分が大嫌いだ。フィーナちゃんを守れなかった自分の生き様が、死ぬほど大嫌いッス。それでも――天から与えられる永遠の幸せより、人としての生きがいを求めたいと思う。このエゴが……渇望が、あーしの……あーしにとっての、人生の意味ってやつなのさ、きっと」
「生きたいんだね。ココロちゃんは」
「うん。あーしはまだ生きたい。生きてあいつを……魔王メビスを、思い切りぶん殴ってやりたいッス」
 ココロは軽く拳を握り、小さく前へと突き出した。フィーナがそれを手の平で受け止め、少し残念そうに笑う。
「またしばらく、お別れだね」
 フィーナがくるりと背を向けた。片手を小さく上げ、「もう行かなきゃ」と言って何処かへ歩いていく。
「……なんで」
 立ち去ろうとするフィーナにココロが声をかけた。
「なんであーしを生かしたッスか。あーしはただ、フィーナちゃんが生きててくれれば、それで十分だったのに。普通の女の子として幸せになってくれれば、それで良かったのに」
 マズルガフが魔族に襲撃されたとき、フィーナはその身を犠牲にしてまで、ココロを集落から逃がそうとした。
 ココロは未だその一件に納得できていなかった。自分の代わりにフィーナが死ぬことなど、あってはならないと思っていた。
「同じだよ……」
 フィーナが足を止めた。ココロに背を向けたまま、ためらいがちに口を開く。
「私の幸せを願ってくれたココロちゃんに、私もなにかしてあげたかった。……ココロちゃんには、幸せをつかんでもらいたかった」
 フィーナもまた同じだった。自分のためにココロが命を落とすことなど、到底認められることではなかったのだ。
「ココロちゃんの笑った顔……見たかったな……」
 フィーナの背中が震えた。顔は見えなくとも、泣いているのだとわかった。
「生きてね、ココロちゃん。私が枷を外してあげるから」
 フィーナが言うと同時、ココロの左手が白い光に包まれた。
 その光こそ、心当ての最終段階。ココロ・ニルーファが心読みの力を持って生まれた意味。
 最後の希望。
 最後の祈り――。


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サトルカゲユウ 終章

 ナマケモノという動物がいる。アリクイの仲間であり、その生態はココロ・ニルーファに酷似している。言語圏により様々な名で呼ばれるこの動物。しかし多くの国において、名前の由来は『怠ける者』という意味の語でおおむね共通している。
 ――ナマケモノ。その名の如く怠惰な動物。
 風を食って生きていると噂されるほどの小食。一日わずか数グラムの植物を食べるだけで生きられるという。
 樹上でほとんど動かずに過ごし、毎日二十時間も睡眠に費やす。ほ乳類でありながら変温動物の特性を持ち、気温に合わせ体温を変化させることでエネルギー消費を抑えている。
 変温動物は基本的に小食である。大型の肉食動物として知られるワニも、鶏一匹で一週間は生きるといわれている。

 ココロ・ニルーファの場合、人並み程度の食欲はある。普通の人より体温が気温に左右されやすいが、変温動物というわけではない。そしてナマケモノのようによく眠る。
 人並みのエネルギー摂取。エネルギーを消費しない生活。だが決して肥えてはいない。温存したエネルギーには、常人と異なる使い道があった。
 ココロ本人も知り得ない事実。その『異なる使い道』とは、心読みの能力である。
 一方、同じ異能を持つメビスの場合、ココロとは別の手段によって能力発動を可能としている。
 その手段とは、青い血。魔族の青い血は高度なエネルギー伝達を可能とし、そのエネルギーは未来読みや擬態能力など様々な異能となって現れる。
 怠惰と血。異なる道程を経て発生した心読みの力は、それぞれの使い手を不幸にした。
 誰よりも他者を理解できるはずの彼女たちが、誰よりも他者を恐れ危ぶんでいる。
 見たくもない心の闇を覗き込んでしまう。心読みがもたらす『理解』とは、すなわち呪いなのだ。
 呪われた者同士で争う。偽勇者と業魔女王の戦いは、どちらの呪詛が相手を喰い潰すかという勝負である。
 ――あるいは。
 呪いを祝福に変えた者こそが、真に勝者と呼べるのかもしれないが。


 ココロの背中に書かれた『左を向け』のメッセージに惑わされ、メビスは肩に深手を負った。その傷でメビスは右腕の自由を失った。
 ロゼの描いたおまじないに救われ、ココロはようやく平常心を取り戻した。全く手も足も出なかった相手に初めて傷をつけられたことで、大きな自信と気力が生まれた。
 メビスに攻撃を当てるというだけなら、もっと効果的な策がいくらでもあっただろう。しかし、ロゼが選んだのは子供の悪戯を思わせる一手。
 半分ふざけたような策を成すことで、ココロに対し「落ち着きなさい」とメッセージを送っている。
「ふうーっ……」
 深呼吸一つ。
 肺に空気を行き渡らせ、鈴鳴りの剣を中段に構え直す。
 ロゼのおまじないだけではない。ココロをずっと救ってくれていたのは、師の剣であり技であり、フィーナがくれた鈴の音でもあった。
 飾り鈴が奏でる音の波は、メビスの動きにわずかな緊張を走らせていた。その緊張――動きの乱れこそ、ココロが九死に一生を得ている要因の一つだった。
 多くの意志に助けられていた。あるいはマドゥとの戦闘経験や、フュラーがメビスに与えたダメージも、ココロの存命に深く関わっているかもしれなかった。
「ふうっ」
 もう一度深呼吸し、ココロは視線を落とした。先刻まで把握できなかった存在がそこにあった。
 それは足元に見える『在るはずのない』一本の線。メビスとの間を遮るように、どこまでも真横に続いている。
 第三者には見えない。ココロと――対峙するメビスの目にだけ映る幻影。ココロには、それがなんの線なのか直感的に理解できた。
 それは死線。生と死を分かつ境界線。
 そこを越えれば命はない。ほぼ確実な死が待ち受けている。
「さぁて」
 普段と変わらない無表情。普段どおりのけだるげな足取りで、ココロは前へと歩き出す。
「もうひとふん張り」
 ――踏み越えた。死線を。
 そこから先は決死の領域。死ぬと心に決めた者のみが立ち入ることを許される。
 今さら死ぬことを怖いとは思わない。ココロにとって、なにもできないことだけが恐怖だった。
「その線を越えるか……」
 メビスの声が震えた。むせび泣きたいほどの歓喜が、彼女の全身を駆け抜けていた。
 眼前に立ちはだかるのは死兵。自身より遥かに劣る劣等種。
 ――立ち向かってくる。今にも崩れ落ちそうな死に絶え絶えの体で。
 求められることの喜びを、メビスは強く全身で感じた。
 そして気づいた。いつしか自分の足元にも、くっきりと死線が浮かび上がっていたことに。
 並の感性で推し量るなら、この勝負でメビスが命を落とすことなどまず考えられない。両者の実力差は歴然なのだ。
 だからこそ、その死線は物語っていた。この戦いが尋常の結果では終わらないであろうことを、はっきりと。
「魔界の興廃……この一興に委ねようぞ」
 メビスもまた、その線を踏み越えた。もはや後戻りはできない。
 視線を交わす。決死の領域で二人。
 互いの意が絡み合い、混じり合い、融け合う。
 相対尽のように。恋人同士のように。
 愛し合っているわけではない。胸の内を占める情は、喜びに満ち溢れた敵意のみ。
「近う寄れ」
「行くッス」
 対話ではない。聞く耳など持たない。しかし会話が成り立っている。
 求めるものは互いの命。その一点において、ココロとメビスは深く通じ合っていた。
「わらわも往こう。勇者!」
 ココロが前へと踏み出そうとした瞬間。機先を狙い済ましたかのように、メビスの背が弾けて広がった。そこから複数の長い触手が伸び、地を這いながらココロへと迫る。
 フュラーとの死闘に決着をつけた八本の触手。鍛え上げた体をも貫く殺傷力と、電光石火のスピードを併せ持つ。魔王メビスの切り札である。
「その手は知ってる……!」
 フュラーの心を読んだ際、メビスが使う八本の触手については情報を得ている。軌道も速さも予測できる。
 剣の間合いにまで迫ってきた触手二本を斬り飛ばし、ココロは向かって横方向へと駆けた。残る六本の触手が追いかけてくるも、フェイントと牽制で上手く捌いていく。
 ――走れ。
 ココロは自分自身にそう訴えた。走り続けなければ、その瞬間に身を引き裂かれ全てが終わってしまう。
 余力はない。そんなものは残さない。
 己の命を犠牲にしてでも勝つ。亡き親友への誓いを果たすために。
「親を見限り、友を欺き、そしてそなたは復讐を選んだ。つくづくあわれな娘よ」
 メビスの手数と攻撃速度は、ココロを大きく上回っている。先程までは防御するだけで手一杯だった。
 だが片腕のみのメビスならば十分に対応できる。ココロにも反撃のチャンスがめぐってくる。
「一人で生きて一人で死ぬ……! あーしら化け物にゃ、そいつがお似合いだ……!」
 三方向から同時に襲いかかってきた触手を、ココロは回転斬りでまとめて切り飛ばした。落ちた触手が不気味に地面をのたうっているが、気にかけている余裕はない。
「ふははっ。違いない」
 残る三本の触手が束ねられ、ねじれ、絡み合い、一本の巨大な触手となってココロに迫り来る。
 速い。そして強い――が、軌道は単純で予測しやすい。
 ココロは身を沈めてかわし、下から剣を振り上げた。束ねられた三本の触手が一刀両断され、宙に投げ出される。
「……っ!」
 ――ココロは驚愕した。
 触手が切り離され、クリアになった視界の向こう側。魔王メビスが、すぐ手の届く距離まで接近してきていた。左手に青い発光体を携えて。
 これ見よがしに繰り出された触手は目隠し。メビスの本命は、左手に収斂された青く輝く――――霊光。心当てと見た目は異なるが、同質の何か。当たれば精神を破壊され、その場で戦闘不能に陥る。
「ちいっ!」
 青く輝く手の平を、メビスがぐんと伸ばす。
 ココロはとっさに上体反らしで攻撃を避け、崩れた体勢のまま下から上へと左拳を突き出した。しかしメビスも上体を反って攻撃をかわし、互いにバックステップで間を開ける。
「避けんのかよ、あのタイミングで」
 悪態をつきつつ、ココロはメビスが見せた青い霊光について考察した。
 メビスは魔族特有の異能を複数使いこなしている。心当ての技を持っていてもおかしくはない。また、フュラーの技を容易く真似できたことから、たった今覚えた可能性も否めない。
 ココロの記憶を読んで真似たのか。以前から持っていたのか。
 その答えを推測しようとして、ココロはかつて交戦したムカデ型の魔人を思い出した。
「そうか。あのムカデ怪人は、あーたの力で生み出されたんスね」
 ココロは養母が暮らす町で、異形の怪物と出会った。まるでムカデのようなその怪物は、魔族の実験体であったという。
 その実験とは、強力な精神操作を受けることで肉体に影響が表れるかどうかというもの。
 実験が成功だったのか失敗だったのか。ともかく精神操作の影響により、異形の怪物が誕生してしまった。生み出された怪物はココロとマドゥの共闘により倒されたが――。
「マドゥが追ってた化け物は、強力な精神操作を受けていた。その精神操作の方法が……あーたの心当てってわけッスか」
「心当て?」
「あーたがさっき使おうとした力を、そう呼んでるッス」
 ココロは左手をかざし、その手に赤い霊光を顕現させた。
「あーしも使える」
 すぐに左手を握り締め、霊光を消滅させる。
 心当てには多大なエネルギーを使用する。消耗しきった今の体で放てるのは、一回が限度。それ以上は不発に終わる可能性が高い。
 ミスは許されない。一度の発動で確実に当てる必要があった。そのためには、まずメビスをつかまえなくてはならない。
「精神を喰らう戦いか……。面白い」
 メビスは左手の平を見せつけるように、ココロの方へと向けて伸ばした。
 ココロがあえて能力をひけらかしたのは、メビスに同じ能力を使わせるため。
 自分に絶対の自信を持つメビスなら、対等の勝負を挑んでくる可能性が高い。同じ力を持つココロに対し、同じ力で勝負してくる。
 そしてこの勝負は相討ちが狙えるのだ。互いの攻撃手段が限定されるなら、普通に戦うよりも勝つ見込みが大きい。
「いざ。尋常に」
「ああ。勝負ッス」
 互いに狙いは見え透いている。心当てによる一撃必殺。
 心を当てる。
 感情を。精神を。魂の根源を流入させ、心の破壊に至る無慈悲な攻撃法。
 フェイントをかけることもなく、両者が間合いへと踏み込む。
 大きく開いた左手を、ココロは真っ直ぐ前へと伸ばした。
「捉えたッス」
「こちらもじゃ……」
 双方の左手が、互いの頭をわしづかみにしていた。
 必殺の距離。絶好の勝機。後はただ、全力で魂をほとばしらせるだけ。
「遅いぞ、勇者……!」
 先手を取ったのはメビスの側。その手から青い霊光がほとばしり、ココロの脳を焼き尽くす。
「あ……! ぐ……!」
 暗転する視界。消えてゆく音。麻痺していく触覚。
 見えず、聞こえず、感じない。それは死に等しい。
 だが、まだ終わっていない。たとえ五感が失われても、ココロにはまだ気配を読み取る力があった。フィーナの魂が宿る飾り鈴と、仇敵メビスの存在だけは確かに感じ取ることができる。
 ココロは真っ直ぐ剣を突き出した。手応えも何も感じない。しかし目の前に佇む気配は、にわかに揺らぎを生じさせていた。
「なんと……」
 ――暗闇の外。
 ココロには見ることも聞くこともできない領域で、メビスはうめき声を上げていた。その胸には、ココロの突き出した剣が深々と突き刺さっている。
「死に際の一念……か……。最期まで……楽しませてくれる……」
 口の端に青い血をにじませ、メビスは薄く笑った。笑ったままの表情で、その瞳から静かに光が失われていく。
 決戦の地で立ち尽くす二人。どちらの灯火も消え、彫像のように静止している。その最期を誰に看取られることもなく。
 二人だけの最終決戦。
 決着を知る者は誰もいない。今はまだ。誰も。


・エピローグ


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サトルカゲユウ 幕間の三『魔王』

 魔王の居城から遠く離れた異国の地に、『災い』という言葉がある。
 災いの『ワザ』とは、『鬼神の為す業』のこと。疫病や天変地異など、人の力ではどうすることもできない災難をいう。
 業魔女王メビスの存在は、まさにそうした災害そのものであった。
 災いを為す害悪。人にとっても魔族にとっても、彼女の存在は害でしかない。女王として君臨してこられたのは、ただ圧倒的に強かったから。暴力を振るうことに秀でていたためである。

 魔王とは何者か。
 その答えを知るには、三百五十年前まで歴史をさかのぼらなければならない。

 始まりは一人の人間だった。
 赤い血が流れるただの人間。彼は超能力者だった。
 人に生まれ、人ならざる異能を手にした人間。突然変異。

 彼が手にした異能とは、奇しくもココロが編み出した『心当て』の技と同じ。精神操作の能力だった。
 進化論に興味を持っていた彼は、その異能でもって人類という種を人為的に進化させようと試みる。人体実験である。
 彼の非人道極まりない実験によって、もはや人とは呼べない数々の怪異が生み出された。その中には、ココロとマドゥが倒したムカデ型怪人のような怪物も存在した。

 人はどこまで進化できるのか。答えを求め、彼は人体実験を繰り返した。結果誕生した存在こそ、業魔女王メビスを筆頭とする亜種族だった。
 青き血が体内を流れる人々。
 ――魔族。
 不老の肉体と、妖術に似た異能を持つ究極生物。
 皮肉にも彼の人生は、自らが生み出した究極生物に殺害されることで幕を閉じる。

 超能力者の彼が死去したその時点で、地上には三人の魔人が存在していた。
 一人は繁殖能力を強化された雌雄同体の魔人。彼――ないし彼女は、性転換を繰り返し多くの魔人を産んだ。
 一人は知能を強化された魔人。彼は奇跡の実現を可能とする様々な道具を作り出した。
 死者蘇生を可能とする旭光の杖。存在封印兵器アルカディア。輝く聖剣ラルタガナンなどは、この魔人が作り上げた代物である。
 残る一人は数多くの異能を持つ女性型の魔人。心を読み、未来の危機を読み、無敵の肉体を誇る戦闘種。
 心を読む最強の魔人。彼女は人一倍心の優しい娘だった。どこにも行き場のない魔族たちを励まし、話し相手となり、ときに手料理を振舞った。
 多くの魔族たちにとって、彼女の存在は心の拠り所だった。

 あるとき、魔族の娘は一人の人間に恋をする。その男は聡明な若者で、国の未来を誰よりも憂えていた。
 当時帝国の支配領地であったその地域は、圧政により死者が続出する惨状であった。
 そんな現状を男はどうにか打破したいと考え、その誇り高い姿に魔族の娘は胸を打たれた。魔族の総力を挙げて男に協力するよう、同胞たちに訴えた。
 魔族という協力者に後押しされ、男はその地域に新たな国を作り上げる。初代国王となったその男は、支えてくれた魔族の娘を娶った
 こうして、魔族の娘は王妃となり、行き場をなくしていた魔族たちは安住の地を得ることとなった。

 初代国王は魔族の王妃を確かに愛していた。
 心読みの力を持つ彼女は、その愛が真実であることを見抜き、この上ない幸福を感じていた。
 しかし彼女は失念していた。人間は心変わりする生き物だということを。
 あるとき人間の王は、魔族の研究所から存在封印兵器アルカディアを盗み出し、魔族を地上から消し去るために使用した。

 魔族の王妃が罪を犯したわけではない。彼女は王に惜しみない愛情を注いだ。誠意を尽くした。全てを捧げた。
 そんな魔族の王妃に対し、人間の王は言った。「眠れ。アルカディアの地へ」と。
 王は恐れたのだ。人ならざる力を持つ魔の一族を。
 いつかその力が巨大な矛となって人間に向かうのではないかと、そう危ぶんだ。

 異界に投げ出された魔族の王妃が見たものは、作物が育たない不毛の地と、周囲を埋め尽くす正体不明の化け物たち。
 盟友であった原初の魔人二人は瞬く間に殺害され、魔族の王妃は残る同胞を守るべく化け物たちと戦った。
 ――戦って。
 ――戦って。
 ――また戦う。それまでの平穏が幻であったかのように。

 一年が過ぎ、痛みを忘れた。
 十年が過ぎ、憎しみを忘れた。
 百年が過ぎ、悲しみを忘れた。
 同胞の最期を見続け、化け物の血と肉を喰らい、いつ来るとも知れない自分自身の死に怯える日々。
 終わらない地獄の中で、王妃は戦い続けた。未来への希望にすがることもできず。
 三百年――。絶望すら忘れ、残ったものは狂気。三百年の悪夢を経て、心優しき王妃は狂った獣へと変貌を遂げた。

 地上のことも忘れかけ、怪物との闘争に明け暮れる毎日。その過酷な生存競争は、魔族が全滅するまで続くと思われた。
 だが、あるとき転機が訪れる。たった一人地上に残っていた魔族の生き残りが、存在解放能力アトランティスを発動したからだった。
 他の魔人たちとは違い、魔族の王妃は地上に子供を残していた。
 魔族を陥れた国王との間に生まれた子供。人間と魔人のハーフ。『魔族』という括りから外れたその子供だけが、唯一アルカディアの効力から逃れることができた。

 再び太陽の下に戻ってくることのできた魔族たち。
 魔族の王妃は人間たちへの復讐を考え、すぐに行動を起こした。あるだけの戦力をかき集め、周辺各国に手当たり次第戦いを挑んだ。
 そのときに到って、王妃はようやく気づいた。
 かつて自らが遺した予言書――。そこに記した『魔王』なる存在の正体が、他ならぬ自分自身であったことに。

 彼女の名はメビス。業魔女王メビスその人である。



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