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~ディノ・ガレル~

 まぶたの向こうで、誰かの泣き叫ぶ声がする。
 この声は――そう、クレールの声だ。

 ――強い女性だと思っていた。
 僕より。ローリーより。ロミーナ姉さんよりも。
 どんなときも絶対に人前で弱みを見せたりはしなかった。
 ――それなのに。
 泣いてくれるのか。僕のために。
 嬉しくて……切ない。泣いているクレールを前に、なにをすることもできないなんて。この体さえ動くなら、彼女の涙を拭いてあげられるのに……。


 ――涙。
 ――涙。
 ――涙。
 多くの涙を見てきた。
 異形成腫活化病が蔓延するこの都では、安らかな死など望めない。涙を流す理由には事欠かないのが、アムルパーレという街だ。
 誰もが苦しんでいる。誰もが悲しみを抱えている。
 ――ロミーナ姉さんも。
 ――クレールも。
 ――ローリーも。
 ――エルメルも。
 悲しみに暮れる彼女らを。
 痛みに打ち震える彼らを。
 過去に苛まれるみんなを。
 僕は少しでも癒してあげられていただろうか。力になれていただろうか――。



 ――気がつくと、僕は石造り亭の前に立ち尽くしていた。
 心臓を撃ち抜かれたはずなのに、体調は悪くない。むしろ普段よりも体が軽い気さえする。
 歩き出そうとしたその途端、スラックスの裾を踏みつけてしまい、派手に転んだ。
「う……?」
 なんだろう。スラックスが……長い……?
 立ち上がろうと地面に手をついた。地面に置かれた自身の手を見て、僕は愕然とした。
 コートの先に……手がない。
 ……いや。手はあるけれど、袖の中に入り込んでしまっている。
 立ち上がり、袖まくりして自分の手を見つめる。細く、小さく、頼りない手の平が目の前にあった。
 ――すぐにピンときた。これはロミーナ姉さんのときと同じなんだ。
 誰かが赤の魔剣かなにかを用い、僕を幼少期の体に若返らせた。恐らくは、異形成腫活化病を治療するために。
 ……そうだ。僕は見放された者だった。その状態で、クレールやローリーと会っていた。
「ローリー?」
 辺りを見渡してみても、ローリーの姿は確認できない。彼はどこへ行ってしまったのだろう。
 確か……別れの言葉を聞いた気がする。生きているから安心してほしい……とも言っていた。僕は彼に助けられた……のか……? いったいどうやって……。
 ――ともかく、こうして考え込んでいてもが明かない。服がこのままでは歩きづらいし、一度家に帰って身支度を整えた方がいい。
 スラックスの裾をまくり上げ、コートを丸めて歩き出した。――と、十字路を曲がったところで、軍服を着た数人の男たちが通りへとなだれ込んできた。
 憲兵隊だ。誰かから連絡を受け、見放された者を『処理』しにやってきたのだろう。
「おい。この辺りで見放された者を見なかったか」
 先頭の憲兵が、威圧的な口調で尋ねてきた。
「誰とも会わなかったですが?」
 わざとらしく首を傾げてみせる。
 この憲兵らは『コートを着た成人男性が変異した』と聞いてここまでやってきたはずだ。今の僕を見て、見放された者と疑う可能性は低いだろう。
 その予測通り、憲兵隊はあさっての方向へと駆け出していった。それを尻目に、悠々と自宅へ向かう。

 ――沢山のものを失った。エルメルも……多分ローリーも、もう二度と会うことはないだろう。クレールとだって、仲違いしたままだ。
 あらゆるものが、この手からこぼれていく。家族も――友達も――大切なもの全てが失われていく。3年前のあの日から、ずっと……。
 未来に待ち受けているのは絶望だけかもしれない。これから先、失うことばかりを経験し続けることになるかもしれない。それでも僕は前へ進めるのだろうか。
 ……いや。
 どんなに大きな不安を抱えていたとしても、僕はきっと生きることを諦めたりしないだろう。
 世界は見放されてなんかいないと、『僕も』そう信じているのだから――。



 家の前にクレールが立っている。途方に暮れた表情で、じっと玄関扉を見つめて。
 ロミーナ姉さんに僕のことをどう話すべきか決めあぐねているのだろう。
「クレール」
 近づいて声をかける。クレールがこちらに気づいて振り向いた。
「……ん?」
 クレールは訝しげにじっと僕の顔を凝視して――――数秒後、目を大きく見開き、その場から飛び退いた。
「待ってクレール。僕はもう見放されてないよ」
 クレールを刺激しないよう、努めて穏やかに話しかける。
 まあ、警戒されるのも無理はない。ついさっきまでは見放された者だったのだから。おまけに体も縮んでしまっている。恐がるなという方が無理な話だろう。
「だって、おかしいでしょ。さっきは見放されてたのに……」
「脳が変異してたらまともに話せないよ。大丈夫――だと思う」
「……本当に」
 クレールの目に、じわりと涙が浮かんだ。
「本当にディノなの……? 幻じゃなくて……?」
 こういうとき、なにを口に出せばいいのだろう。泣き出しそうなクレールの顔を見たら、言おうと思っていたことが全部、頭の中から消し飛んでしまった。
 胸がいっぱいで、気の利いた台詞が出てこない。最初に思い浮かんだ言葉は……『おかえり』だった。
「おかえりクレール。もう勝手にいなくなったら駄目だよ」
 なんだかひどく回り道をしてしまったけれど、こうして彼女は帰ってきてくれた。そのことが今、素直に嬉しい。
「……うん。ただいま」
 ――クレールが微笑んだ。
 こんなにも安らかな彼女の笑みを、僕は今日まで見たことがなかった。
 いつもどこか気を張り詰めていた彼女の心に、今ようやく触れることができた。
 僕は失うことばかりを経験してきたわけじゃなかった。手に入れたものも沢山ある。形には変えられない大切なものを――。
 クレールの顔をそっと両手で挟み込んだ。今は僕の方が小さいから、こうしなければ届かない。
 少し困ったように笑って、クレールが背を丸める。どちらからともなくまぶたを閉じ、唇を寄せ合う。
 多くの人が行き交う石造りの街中で、僕たちは長い口付けを交わした――――。


「それにしても、なんで小さくなっちゃったの? 後遺症?」
 僕の頭を撫でつつクレールが尋ねてきた。子供扱いされているようで、あまりいい気はしない。
「見放される前の状態に戻されたらしい。戻され過ぎて、こんな風になってしまったけど……」
 乳幼児まで戻されなくて助かった。もしそうなっていたら、ここまでたどり着くこともできなかっただろう。
「誰にやられたの? あの魔剣の子?」
「……ローリーだと思う。多分、見放された者の能力で治したんだろう」
「あいつ……」
 クレールが奥歯を噛み締めた。二人の間にどんなやり取りがあったか定かではないけれど、ローリーがしたことは彼女にとって想定外の行動だったらしい。
 話し声が家の中まで聞こえたのだろうか。不意に自宅玄関の扉が開かれ、ロミーナ姉さんが顔を出した。
「…………あーっ! ディノだ! あたしの知ってるディノだ!」
 姉さんが大きな声を上げ、外へと飛び出してきた。
「ディノもタイムスリップしたの?」
「僕の場合は若返りかな。体は小さくても、心は大人だったときのままだよ」
 ロミーナ姉さんは嬉しそうに笑っている。もっと驚かれるかと思っていたけれど、早くも順応しているようだ。姉さんからすれば今の僕の方が馴染み深い姿なのだろう。
「……で、これからどうするの? 戸籍とか作り直す?」
 クレールが尋ねてくる。
「21歳で通そう。体はそのうち大きくなるだろうし、今のままで問題ない」
 別人になろうとすれば、僕が大学を卒業した事実もなくなる。そうなれば書類を作成する仕事が請けられなくなってしまう。
「とりあえず一度着替えたいな。この服だと動きづらくて」
 家の中に入り、自室で短ズボンと襟付きの半袖シャツに着替える。腰が細すぎてベルトも合わないので、代わりに紐で縛り上げた。これでもかなり大きいけれど、普通に歩けるだけさっきよりましだ。
 靴はクレールが替え用として持っていたものを借りることにした。サイズは少し大きい程度で問題なさそうだ。彼女が小柄なおかげで助かった。
「ディノ! ちょっと来てディノ!」
 玄関先でロミーナ姉さんが呼んでいる。なんだかあわてているような声だ。
 靴のかかとを直し、早足で玄関へと向かう。
 玄関から外に出ると、クレールとロミーナ姉さんがこちらを向いた。二人とも不安げな表情をしている。
「なにか変なの……」
 ロミーナ姉さんがつぶやいた直後、タイミングを待っていたかのように、どこからか悲鳴がこだました。
「なんだ……?」
 様子を見に行こうとしたそのとき、今度は別の方向から叫び声が聞こえてきた。街中の至るところで声が響いている。
 近所に住む人や通りがかった人たちも、皆一様に緊張した面持ちを見せていた。いったいなにが起きているのだろう……。
 大きな影が僕たちの真上を横切った。思わず顔を上へ向ける。なにかが上空を飛び回っているのが見えた。
 空に舞う獣……。
 ――鳥……? いや……。
 この位置から確認できる獣の輪郭は、人間のそれだ。どういう物理現象が働いているのか。翼もない人の形をしたものが、空中を旋回している。
「――ディノ! あっち!」
 通りのずっと先を見て、ロミーナ姉さんが焦燥に満ちた声を上げた。視線の向こうには、くねくねと動く白い人の形をしたものがいる。
「こっちもみたい……」
 反対方向をにらみつけ、クレールがつぶやいた。振り向くと、大樽に手足の生えたような物体が、立ち並ぶ家々を手当たり次第に壊し回っているのが見えた。
 あちらにも、こちらにも、上空にも……。
 何度も見てきたからわかる。あれは見放された者たちだ。同時に三人以上も発症する光景を見るのは初めてだが……。
「冗談でしょ……。ローリーの言ってたことが本当になったっていうの……?」
 油断なく辺りに視線を走らせつつ、クレールがつぶやいた。
「ローリーは、なんて?」
「霧が晴れると、街が見放された者であふれるって……。でもそんなの、またいい加減なこと言ってただけだと……」
 街が見放された者であふれる……。その状況を、想定していないわけじゃなかった。エルメルが歌声の主を捕らえにいくと言っていたときから、こうなるかもしれないとある程度予測はできていた。
「以前、姉さ……いや、見放された者になった人から気になる話を聞いた。『歌を拒絶したから見放された』――って」
「歌って……死を招く歌声のこと? あれって、異形成腫活化病の元凶だったんじゃないの?」
「僕が見放されたとき、歌声は聞かなかった。この前の出兵で、歌声の主はどこかへ行ってしまったんじゃないかな。あるいは捕らえられたか死んでしまったのかもしれない」
 エルメルが出立したあの時点では『可能性がある』くらいの推論に過ぎなかったけれど……。実際にこうして見放された者が大発生してしまった。もはやここでまごついている猶予はない。とにかく動き出さなければ……。
「思うに、死を招く歌声は異形成腫活化病への抑止力だったんじゃないか。それが消えてしまって……今度は霧が出た。あの霧も歌と同じで、見放された者の発生を抑制するために放たれたんだろう。歌声が響かなくなってしまったから、誰かが霧を散布したんだ」
 なにか思い当たる節でもあったのか、クレールがハッと顔を上げてこちらに向き直った。
「――そういえば、あの霧。虹の眼の子が出してた……!」
「となると……この状況はまずいな……」
 やはりあの霧は、見放された者の発生を防ぐために、虹色の眼の少女が拡散させていたものだった。それが消えた今――また、死を招く歌声も響かない今は、全ての死者が見放された者と化す最悪の状況。
 死者が死者を生み、見放された者を大発生させてしまう恐れがある。
 魔剣を手にしているとはいえ、もう僕とクレールだけでどうにかできる話じゃない。周りの人らに避難するよう呼びかけながら、僕たち自身も早急に帝都を脱出しなければ。
「クレール」
 名前を呼ぶと、クレールは短くうなずいた。おろおろするばかりのロミーナ姉さんに「一緒に逃げるのよ」と声をかけ、右手に緑の魔剣を握り締める。
 そうして最初の一歩を踏み出そうとしたそのとき、クレールがなにかに気づいて立ち止まった。
「ディノ……! あいつが……!」
 クレールが目を細め、魔剣を両手で持ち直した。険しくなった視線の先に『最大の障害』が立ちはだかっていた。
 血染めの布を身にまとい、静かに佇む銀髪の少女――。
 物憂げなその横顔には、真新しい血がべったりと付着していた。疲れ切った虹の瞳で青空を見つめ、すぼめた口から息を吐き出している。
「なにしに来たの」
 一段低い声でクレールが尋ねた。それを受けて、少女がこちらへと振り向く。
「貴方がたを殺しに」
 左肩の辺りから右の腰へかけて、虹色の眼の少女が右手を素早く振った。真っ白なその手に、透き通った色の剣が握られていた。
「守るべき者はこの世を去り……果たすべき約束も失った……。故に私は本来の役割を果たします。全てを無に帰すという、本来の役目を……」
 語りながら、虹色の眼の少女が近づいてくる。早くも遅くもないペースで。
「憲兵たちを殺したの?」
「殺めはしません。が、剣のイモータルを欲する愚か者共々、それなりの報いは受けて頂きました。……哀れなものです。力に溺れる者の末路は皆」
 少女が歩みを止めた。距離は――飛び込めば僕とクレールに一太刀が届く程度。剣の間合いだ。
剣に拠りて生きる者は、剣に因りて死にゆくが定め――
 虹色の目の少女が両手で剣を静かに持ち上げ、水平に構えた。腕を曲げ、剣の柄をこめかみに引き寄せて、半身になりつつ強くにらみつけてくる。
「踊りて、うつろい、露と消える――。これも殺戮の化身たる私の宿命なのでしょう。なればこそ、私は最期まで戦わねばなりません」
 剣先をこちらに向けたまま、腰を深く落として静止する。滑らかで無駄のない一連の動作に、僕は思わず見入ってしまった。
「水のイモータルは大陸を沈め、6000万人の命を奪い……火のイモータルは原野を焼き払い、緑の地を砂漠に変えました……。私の存在もまた、世界を破壊するシステムの一端なのかもしれません」
 構えたその姿は、あたかも剣そのもののよう。一切の飾りを削ぎ落とし、人を殺傷するためだけの目的で作られた、一振りの刀剣――。色気はなく、ゆとりもなく、それでいて洗練された機能美がある。向けられた矛先に、吸い寄せられてしまいそうだ。
「さあ、始めましょう。石造りの街が榮域となる前に。互いの存命を賭けて、いざ尋常に――勝負ですよ」
 虹色の眼の少女は身構えたまま動かない。切っ先のように鋭い視線が、こちらをじっと捉えていた。
 ――僕たちを殺す? 本気なのか……?
 真意は読めないが、ただで逃がしてはもらえなさそうだ。足元に突き立った赤の魔剣をつかみ取り、構えないまま少女を見つめる。
 赤の魔剣は異常を検知してくれない。いつもなら見えてくるはずの数式が、虹色の眼の少女の周りには浮かんでこない。どうやら彼女は、存在として認識されていないようだ。これではなにをすることもできない。刀身を叩きつければ効果はあるかもしれないが……。
「――露草罔象女。万里を越えて押し寄せる波濤引く船をも揺るがさず、ただ眼前の敵のみを――――」
 虹色の眼の少女が、小さな声でなにやらつぶやき出した。よく聞き取れない……が、単なる言葉遊びに興じているわけではなさそうだ。
 ――尖った雰囲気が肌に突き刺さってくる。少女はつぶやいているだけなのに、殺気と緊張感が高まっていく。
 クレールも異様な気配を感じ取ったのか、いつでも動き出せるよう身構えていた。それに習って僕も重心を落とした。しかし、そんなことで魔剣の能力に対応できるのか……?
「――――打ち砕け!」
 少女が叫ぶと同時、藍の魔剣がまばゆい光を放った。――しかし、それ以外なにも起こらない。攻撃は飛んでこないし、少女自身が斬りかかってくるわけでもない。
「ディノ……。なにか聞こえない?」
 小さな声でクレールが尋ねてくる。耳を澄ますと、確かにどこからか音が聞こえてきていた。
 ……遠くから地鳴りのような音が近づいてくる。



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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

~ロランベル・アルジェント~

 クレールが去って、ディノと二人きり。見つめ合いながら、静かに距離を縮めていく。
 ――こうなることは予想できなかった。僕の与り知らないところで、ディノが見放された者になってしまうなんて。
 彼はきっと、クレールを守るためにああなったんだろう。見てきたわけじゃないけど、なんとなく想像はつく。
 僕にはわかる。ディノのことをずっと見てきたから。彼自身以上に、彼のことをよく知っているから……。
 ディノはクレールと一緒に生きる道を選んだ。これから先なにが待っているのか僕は知らないけど、彼がそれを選んだのなら全力でサポートするだけだ。
 ディノとクレールのために。二人が作る未来のために。僕は全てを投げ打とう。
 きっとそれだけが、僕の生まれてきた意味だろうから――。
「さあ。おいでディノ。少し目を覚まそうか」
 ディノはゆっくりと近づいてくる。狂気を宿した右目でこちらを見据えながら。
「僕と君は別々の道を行くことになるかもしれない。でも安心して。ここじゃないどこかで、僕も希望を見つけるために生きてる。どうか君も精一杯生き抜いてほしい」
 僕の声は、彼にちゃんと届いているだろうか。届いていると……信じたい。
 これはディノに捧げる言葉であると同時に、僕自身へのメッセージでもある。明日を生きるために唄う、賛美の歌声――。
「大丈夫。今がどんなに苦しくても、苦しいことがずっと続いていても……。世界は見放されてなんかいない。誰だって希望をつかむことはできる。――僕はそう信じるよ」
 息がかかるくらいすぐ近くまで、ディノがやってきた。両手を広げ、僕は彼を迎え入れる。
 見放された者たちを恐ろしいとは思わない。彼らはみんな、想いの伝え方が下手な子供たちだ。誰のことも傷つけたいとは思っていない。
 多くの見放された者を見てきたからこそ、強く思う。人は元来、愛情と思いやりに満ちた温かい存在なのだと。
「さよならディノ。君の前途に多くの幸せが実ることを祈るよ」
 黒く染まったディノの右腕が、僕の首にかかった。振り払おうと思えば簡単にそれができる程度の力で、ゆっくり……ゆっくりと締め上げてくる。
 ディノの左目から涙がこぼれた。
 ――ああ。やっぱり彼は優しい。見放された者になっても、僕の身を案じてくれている。
 手を伸ばし、指先でそっとディノの涙をすくった。彼を少しでも安心させるために、安らかな笑顔を作りながら。
 大丈夫。悲しむことはない。僕にはまだ多くの時間が残されているのだから……。

 
 BAD END・・・?
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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

~クレール・ラナ~

 虹眼の少女は会話に心が傾き油断している。


 ――やるなら今しかない。戦いの基本は先手必勝だ。機を逃せばその瞬間に勝利は遠のく。
 ナイフを正面に構え、駆け出した――――その瞬間。
 不意の破裂音があたしの前進を止めた。考えるよりも先に足が動き、横っ飛びして地面に転がる。手入れされていない庭の草花がからみついてきたけど、気にしている余裕はない。
 ――今のは銃声だった。誰かが撃ってきた。この深い霧の中で――。
 恐らくは単発銃だろうけど、二発目が飛んでこないとも限らない。棒立ちしていれば的になるだけ。身をかがめて、じっと様子を見守る。
 重い足音を響かせて、軍服を着た複数の男たちが敷地内に進入してきた。霧が目くらましになっているおかげで、こちらに気づいている様子はない。
剣のイモータルを狙う者が、まだいましたか」
 他人事のようにつぶやいて、虹眼の少女は肩を押さえた。その手に握り締めていた黄金色の魔剣がこぼれ落ち、霧と草に紛れて見えなくなる。運悪くさっきの銃弾が命中したらしい。
 ……景色が濃度を増した。帝都を白く染め上げていた霧が、徐々に薄れていく。肩を撃たれたことで、霧を発生させていた何らかの能力が解除されたんだろう。
 軍服を着た男の一人がこちらに気づき、手にした小銃の銃口を向けてきた。引き金に指がかかっていないところを見ると、さっきの発砲音はこの男が撃ったときのものなのかもしれない。
「連れていけ」
 誰かが後ろで指示を出し、虹眼の少女を複数の男たちが取り囲んだ。こいつら……まさか彼女が目当てでここに……?
「目撃者がいます」
 目の前の男が、こちらに銃口を向けたまま言った。すぐに「殺せ」と指示が返ってきて、男が銃の撃鉄を起こした。
 ――まずい。撃たれる。
 男の人差し指が引き金にかかった。迷いなくトリガーが引かれ、乾いた銃声が一つ――鳴った。
 ――子供の頃に聞いたことがある。銃弾には毒が混じっていて、当たっただけで人を死に至らしめると。でもそれが真っ赤な嘘だということは、この体で実証済みだ。急所さえ避けられれば問題ない。
 ナイフと腕で頭と首を防御する。放たれた銃弾がナイフに命中し、高い金属音を響かせて飛んでいった。
 ――場所が悪い。銃弾を避けられるだけのスペースがないし、逃げ道もふさがれている。
 足元には緑の魔剣が突き立っている。
 こういう非常事態において、いつも頼りにしてきた武器。だけど今は……それを手に取ることが恐ろしかった。
 生死がかかったこんなときなのに。戦わなければ生き残れないことは、嫌というほど身にしみていたはずなのに――。
 この手でディノの友人を撃った忌まわしい記憶が、あたしに使用をためらわせている。体が魔剣を拒絶している。また不幸を招いてしまうんじゃないかと、恐怖に打ち震えている。
「怖くない……!」
 心にもない言葉で自分自身を無理やり奮い立たせ、足元にある緑の影へと手を伸ばした。
 引き抜き、振りかざし、エネルギーを高めていく。三つ又に分かれた剣の先端に、雷の力が集まり火花を散らした。
「なんだこいつは!?」
 正面の男が驚きの声を上げた。でも、一度銃を撃ったそいつには格闘以外の攻撃手段がない。後ろの連中も、正面の男が射線をふさいでいるからすぐには発砲できない。
 火花のほとばしる剣先を地面へと叩きつける。雷の力が弾け飛び、光の洪水となって周囲の帝国兵らを呑み込んだ。
 オルネラと対峙した際にも使った閃光弾の一撃。大抵の人間なら、これで動きを止められる。
 すかさず男たちの脇を駆け抜け、家の敷地を飛び出した。大通りまで逃げれば、連中も派手には動けないはず。
 門をくぐる直前、男たちに捕らえられた虹眼の少女と目が合った。「なにをためらう必要があるのか――」と、そんな風にこちらを責めているかのような目つきだった。
 男たちを電撃で仕留めなかった。そのことを、彼女は不服に思っているようだ。でも、こっちにだって都合がある。
 もう人は殺したくない。たとえその人が異形の怪物に成り果てていたとしても。
 ――走り出してすぐに追っ手が走ってくる気配を感じた。それも複数……。閃光弾を放ったとき、うまく陰に隠れていた奴がいるらしい。
 緑の魔剣を使おうにも、走りながらじゃ上手く力を集中させられない。腰のナイフを抜き放ち、肩越しに後ろへ投げつけた。背後で「うっ」とうめき声がして、追ってくる足音が一つになった。
 あと一人――。不意を突いてひるませられれば振り切れる。
 そのとき突然、背後の足音が鳴り止んだ。
 まさか諦めた――?
 怪訝に思った次の瞬間、銃声が鳴り響いた。
「ぅあぐっ!」
 鋭い痛みが足を焼き、思わず転んでしまいそうになる。
 銃弾そのものが命中したわけじゃなかった。弾はふくらはぎの横をわずかにかすめただけ。でも、驚いた拍子に足首をひねってしまった。
 痛む足をかばいながら走る。せめて身を隠せる場所まで逃げられれば……。
 曲がり角を右折しようとした瞬間、目の前に人影が立ちはだかった。驚きのあまり、さっき投げ捨てたナイフを手で探ってしまう。
 でも、ナイフを探す必要はなかった。そこに立っていたのは、あたしのよく知る人――だったから。この街で一番大切な人だったから。
「ディノ!?」
 どうしてディノがここに――!?
「――クレール! 危ない!」
 考える間もなく、ディノに突き飛ばされた。直後に高い発砲音が鳴り響き、ディノの体が小さく跳ねた。
 表情を引きつらせ、倒れていく――――ディノの体。
 仰向けの姿勢で地面に崩れ落ち、ディノは固く両目を閉じた。 
「ディノ!」
 ディノは苦しげにうめきながら、胸を手で押さえていた。その指の隙間から、鮮血がとめどなくあふれてくる。
 ――血。
 押さえても噴き出してくる大量の血――。
 屈み込んでディノの体に触れた。ぬるりと湿った感触に鳥肌が立つ。その生暖かさを感じた瞬間、あたしの中でなにかが壊れた。
「うっ――――うあああああっ!」
 ――叫んだ。
 叫びながら緑の魔剣を手に取り、雷の力を限界まで振り絞った。
 剣先から放たれた雷撃がうねり、荒れ狂い、周囲を滅茶苦茶に焼き払っていく。
 やってきた帝国兵たちは皆、電撃に撃たれその場に倒れ込んだ。多分まだ生きているだろうけど、確証はない。そんなことに構っていられるだけの余裕はなかったから。
 ――撃たれた。
 ディノが撃たれた。
 ――なぜ。どうして。
 気が動転して、なにをどうすればいいのかわからない。そもそも、処置の施しようがあるのかどうかすらも判断できない。
 弾丸はディノの心臓部を正確に貫いている。彼の体から流れ出た大量の血液が、地面にまで広がっていた。
 助かる見込みはないと、すぐにわかるほどの出血。
 それを目の当たりにしてもまだ……まだ、あたしは……。
 ――涙の粒が落ちた。一滴……二滴……。
 やがてそれは頬を伝い、首筋へと流れていった。
 どうしよう。止まらない。瞳の奥から溢れてくるものを抑えられない。
 あたしは泣き叫んだ。わめきながら、何度も彼の名を呼んだ。
 もう決して目覚めることのない、彼の名前を――。



 霧が晴れた石造りの都は、早くも元の活気を取り戻し始めているようだった。行き交う人たちの表情は、みんなどこかほっとしているように見える。霧のせいで漂っていた閉塞感から、やっと解放されたからだろう。
 そんな中、大衆酒場の前で木箱を運ぶローリーだけが、なにやら難しい表情をしていた。いつも口ずさんでいた『あの歌』も、今日は歌っていない。ディノの不幸を敏感に察知しているんだろうか。ことローリーに限っては、あり得ないとは言いきれない。
 この場所へやってきたのは、ローリーに力を借りるため。悔しいけど、今のあたしではディノの遺体を運ぶこともできない。こんなときばかり頼りたくはないけど……。
 あの場所には、帝国兵たちもうろついている。下手に近寄れば、口封じに殺されてしまう恐れがある。でも、公爵家とつながりのあるローリーなら上手く取り成してくれるかもしれない。
 ――あの連中……一応軍服を着ていたけど、虹眼の少女を狙っていたことから考えて、きっとどこかの貴族に金で雇われたんだろう。
 魔剣の力は強大だ。その存在を知れ渡ったなら、手に入れようとする人が現れてもおかしくない。
「ローリー」
 ローリーに声をかけた。振り返ったローリーは一瞬笑顔になりかけたけれど、その顔がすぐ驚きの表情に変わった。
「クレール……? どうしたの。目、赤いよ」
 まさかこいつに心配される日が来るとは思わなかった。今、あたしはよっぽどひどい顔をしているに違いない。
「落ち着いて、聞いてほしいの」
「うん」
 ――深呼吸した。それを口にするのが怖かったから。
「ディノが……死んだ……」
「ディノが死んだ……って?」
 ローリーはきょとんとした目で首を傾げた。その表情は、あまり驚いていないように見える。
 ――どうして? こいつは誰よりも強くディノに依存していた。ディノが死んだなんて話を聞けば、平静じゃいられないはず。
 別にローリーの慌てふためく顔が見たかったわけじゃない。でも……なにかおかしい……。
「ローリー……。なんであんたそんな平気そうな顔してんのよ……」
「いや、だって……」
 ローリーがあたしの背後を指した。
 体中の産毛が逆立つような悪寒を覚えて、あたしは振り返った。ローリーが示したその先にあるものを見て、心臓が凍りつきそうになる。
 幽鬼のような気配を全身にまとい、ゆらりゆらりと近づいてくる不吉の影――。
 厚手のコートを揺らしながら歩くその隻影は、紛れもなくディノだ。
 生気をなくしたその様相は、いつか見た彼のイメージとぴったり重なる。出会ったばかりの頃のディノと――。
「ディノ……!?」
 ――嘘だ。
 彼は確かに死んでいた。それはしっかり確認してる。
 じゃあ蘇生した? あんな大怪我を負っていたのに?
 まさかよく似た別の人? そんなのもっとあり得ない。
 …………本当は、答えなんかとっくにわかってる。考えないようにしていただけ。
 じわり……と。ディノのコートに黒いシミが浮かび上がった。
 混じり気のない黒。光を照り返さない暗黒がじわじわと広がり、ディノの右半身を覆っていく。
 肌も――髪も――爪も――瞳も――靴も――。正常な左半分を残し、全てが黒く塗り潰されていく。
 それは死を拒絶する絶望の病。
 ――異形成腫活化病。
 見たくなかった。今だって、できることなら顔を背けたい。でも、それは許されない。
 緑の魔剣をつかみ取る。この手で彼を葬るために。
 これはきっとあたしの役目なんだ。不死の化け物として生き続けるよりは人として死にたいと、そう思ったからこそディノはあたしの前までやって来たはず。
 やるしかない。
 ディノのために。
 どんなに辛くても。心が悲鳴を上げていても。
 正面から受け止める。それが彼に対しての敬意だと思うから。
 周りを歩いていた人たちが、ディノの異変に気づいて悲鳴を上げた。みんな競うようにディノから離れていき、ものの数十秒で辺りから人の気配が消えた。
 ――好都合。余計な邪魔が入らずに済む。
 緑の魔剣は市街戦に適さない。当てたくない相手にまで、攻撃が飛んでいってしまうから。でも人がいなければ思う存分暴れられる。
「ディノ……! ごめんなさい……!」
 魔剣の先端から放たれた雷が、空気を切り裂きディノめがけて走っていく。
 ――ディノが動く。闇に染まった右手を前に。でも、そんなもので魔剣の雷を防げはしない。避けられない限り見放された者は確実に死ぬ。
 稲光が視界を白く染め上げ、伸ばされたディノの腕に命中する。見放された者を死に至らしめる必殺の雷撃が当たった――そのはずなのに――。
 ――思わず目を見張った。ディノがまだその場に立っていたから。黒い右手を突き出した姿勢のまま、無感情な瞳でこちらを見つめている。
 雷を……受け流された――?
 なにが起きたのか全く理解できない。この緑の魔剣で攻撃された『見離された者』は、みんな絶命するはずじゃ……。
 ディノが右手を下ろし、何事もなかったかのようにゆらりゆらりと近づいてくる。
 歩調は限りなく遅い。右へ左へコートを揺らして、ゆっくり……ゆっくりと歩み寄ってくる。その遅さが、かえって不気味だった。
「クレール。逃げよう」
 後ろでローリーが言った。そういえば、忘れていたけどこいつがいたんだった。
 ――ディノが歩調を速める気配はない。そのことを確認してから、あたしはローリーに向き直った。
 ローリーは目を細め、変異したディノの姿をじっと見つめていた。
 もっと取り乱すかと思ってたけど、意外に冷静だ。まるでこの状況を予期していたかのような……。そんなはずはないんだけど。
「冗談でしょ。あたしが逃げたら、誰がディノを止めるっていうの」
 言ってから、胸の奥がチクリと痛んだ。
 元はといえば、あたしがディノと向き合わず、逃げようとしたから今の状況を招いてしまったのに……。
「ディノのことじゃない。この街から、一刻も早く逃げた方がいいって言ってるのさ」
「……どういう意味?」
「霧が消えると、帝都は見放された者たちであふれかえる。そして……最後の見放された者が現れて、みんな死ぬ」
 淡々とした口調でローリーが言った。ディノから視線を外していないのに、どこか遠くを見つめているみたいだった。
「なにそれ。予言?」
「僕にもわからない。……ううん。『覚えてない』のが近いかな。けど多分、実現する」
 ――どうしてしまったんだろう。
 こいつがおかしいのは元からだけど、今日は普段より一段と言動が危うい。ディノの変異を目の当たりにして、見かけ以上に動揺しているんだろう。
 でも……それだけじゃないような気もする。ローリーの言葉に、鬼気迫るものを感じる。こんなことを思うあたしも、どうかしてしまったのかもしれない……。
「ディノの妹さんを街の外まで連れて行ってあげなよ。その方がディノも喜ぶと思う」
 こちらに向き直ってローリーが言った。
 ……どうしよう……か。
 緑の魔剣が通じない以上、一旦退くという選択はもっともだと思う。でも、逃げたからといってなにが解決するわけでもない。
 それにローリーは……。さっきの言い方からすると、あたしと一緒に逃げる気はなさそうだった。嫌な予感がする。
「アンタはどうすんの」
「僕は……」
 ローリーはゆったりとした動作でディノに視線を移した。悲しむでもない。怯えるでもない。頑なな意志を表明する眼差し――。
 痛いくらいにわかった。ローリーはここで死ぬつもりなんだ。ディノの後を追って――。
 ディノとローリーはただの友達同士だって聞いていたけど、どうしてそこまでのことができるんだろう。あたしの方が、ディノと一緒に過ごした時間は長いはずなのに……。
「駄目よ。アンタにもしものことがあったら、それこそディノが悲しむでしょ」
 ローリーの腕をつかんで強く引いた。ローリーは少し驚いたような顔を見せたけれど、すぐにいつもの微笑みを見せて体裁取り繕った
「……そうだね。じゃあ、程々のところで僕も街を出て行くことにするよ」
 緊張感のないその笑顔に毒気を抜かれ、思わず彼の腕を放してしまう。
 ローリーは軽く服を整え、ディノの動きに目を光らせつつ何度かうなずいた。
「ディノの家で少し待ってて。僕もすぐに行く。これからのことを相談しないとね」
 もう一度ローリーが笑った。その笑顔は……悔しい気持ちを噛み殺しているような表情に見えた。
 ――なぜ。そんな顔をするんだろう。
 あたしはこいつになにか変なことを言ってしまったんだろうか。それとも……。
 いずれにしても一つ確実に言えるのは、ローリーがディノを裏切るわけがないということ。二人の過去になにがあったかは知らないけど、こいつは異常なくらいにディノを慕っている。『ディノのために行動する』というその一点においては信頼できる……と思う。
「すぐに来なさいよ」
 そう言い残して、あたしはその場を離れた。ディノのことをなんとかしてあげたいけど、緑の魔剣は通じないし、殺されてあげるわけにもいかない。
 悔しいけど……悲しいけど、逃げ出すことしかできない。自分の無力さを今日ほど呪うことは、これから先ずっとないだろう。
「うん。すぐに行くよ。すぐにね……」
 背中でローリーがつぶやいた。決意に満ちた――それでいて寂しそうな、そんな声に聞こえた。





 

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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

~クレール・ラナ~

「話を聞かせて」
 腰のナイフから手を放して、虹眼の少女に言った。
 少女も黄金色の魔剣を手放し、警戒態勢を解いた。固い表情は崩さないままだけど、瞳に宿る光はどこか優しさを取り戻している。
 そう。彼女だって、帝都の破滅を望んでいるわけじゃない。破壊するだけが望みなら、面倒なことをしなくてもいい。魔剣の力で全てを蹂躙すれば、それで事足りるのだから――。
 虹眼の少女を信用し、歩み寄ろうとした。そのとき――。
 不意の破裂音が思考を奪っていった。体がびくんと跳ね、胸の奥から激痛が湧き上がってくる。
 胸が――痛い。
 痛い。
 痛い。
 服から大量の血が染み出してきて、ボタボタと地面に垂れ落ちていく。
 これは……銃創……?
 あたし……撃たれたんだ……。
 がくんとひざが折れ曲がり、前のめりに倒れ込んだ。受身も取れず頭から地面にぶつかったけど、それどころじゃない。
 体が寒い。この寒さには覚えがある。ディノと初めて出会う直前……道端で倒れ、絶命しかけていたときの寒さ……だ。
 ああ……どうして……気づけなかったんだろう。
 ディノの友人を殺してしまった時点で、もう退路も行き場も残されていなかったということに。
 これはきっと運命だ。
 運命が、どこへも行けないあたしの命を奪いに来た。
「ディ……ノ……」
 暗転する視界。意識を溶かす闇の中で、彼の名を呼ぶ。
 裏切られ、切り捨てられ、誰からも見放されて……。もう誰にも頼らない――と。そう誓ったのは何年前のことだったろう。
 そのあたしが、人と会えないことをこんなにも未練に思うなんて……。
「ディノ……」
 もう一度、彼の名前を口にする。その名を呼べば、幸せだったあの頃に戻れるような気がした――。


BAD END
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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

~ロランベル・アルジェント~

 ――目が覚めると、そこはベッドの上だった。
 体を起こし、周囲に視線を巡らせる。見慣れた部屋……だった。僕の寝室だ。でも、どこか違和感があるような……。
 そういえば、どうして僕はここにいるんだろう。確か帝都に大きな見放された者が現れてそれで……。
 目覚める前のことを思い出し、身震いした。僕は――そう、死んだはずだった。
 あれは夢だったんだろうか。夢というには生々しすぎるような気もしたけど……。
 現れた巨大な見放された者――。
 崩れてゆく石造りの都――。
 そして――――僕を庇ってディノが死んだ。
 僕は彼にあんなひどいことを言ってしまったのに……。あんなにひどい言葉で罵った僕を、ディノは最期まで助けようとしてくれた。
 夢の中では結局僕も死んでしまったけど、いい夢だったかもしれない。そして、悲しい夢――だった。
「僕は……」
 夢の中でディノが死ぬよりずっと前――。ディノを傷つけたときの情景が思い浮かんだ。
 あの日僕は、どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。家族が亡くなったことを、バチが当たっただなんて……あんなひどいことを……。
「どうして……あんな……」
 胸の奥が締めつけられる。
 後悔しても、後悔しても、後から罪の意識が無秩序に湧き上がってくる。
 言わなければよかった。一時の激情に身を任せて、あんなひどい言葉を――。
「――ええ。まだ目は覚まさないけど、峠は越えたってお医者様が……」
 部屋の外から話し声が聞こえてきた。お義母さんが誰かと話しているらしい。その声が段々と近づいてきて――。
 ノックもなく扉が開けられた。入ってきたお義母さんは、僕を見て「ああっ」と声を上げた。
「ローリー! 目が覚めたのね!」
 お義母さんが駆け寄ってきて、僕を抱き締める。でも、僕の心はそこにない。
 お義母さんの次に部屋へと入ってきた男の人……。僕の視線は彼に釘付けられていたから。
 赤茶色のコートを羽織った、物静かな雰囲気の青年――。切れ長の瞳でじっとこちらを見据え、足早に近づいてくる。
 ディノ――!
 言葉より先に涙があふれてきた。
 もう会えないかと思った。会いに来てくれるはずがないと思った。それなのに――。
 ――止まらない。
 ――止まらない。
 まぶたをぎゅっと押さえつけても。
「今までごめん……! ごめんねディノ……!」
 お義母さんを押し退けてディノの前に立ち、泣きながら何度も謝った。こんなことで許されるはずがないとわかっていても、謝らずにはいられなかった。
「謝るのは僕の方だ。君の支えになれなかった」
 ディノは苦渋をにじませた表情で言った。
 やっぱり。どんなときでもディノは優しい。僕を恨むどころか、こんなに心配してくれていたなんて……。
「でも僕……ディノにひどいこと言っちゃったのに……」
「ひどいこと……って?」
「え……?」
 ディノは不思議そうに僕を見つめていた。


 その後、驚くべきことがわかった。
 ――僕がディノを蔑み続けた3年間は、なかったことになっていた。3年の月日は経過しておらず、僕が劇薬を飲んだあの日からまだ数日しか経っていなかった。一応ディノには謝ってみたけど、「夢でも見たんだろう」と片付けられてしまった。
 失われた3年間――。そのときの記憶は、まだ鮮明に残っている。あれは本当に夢だったんだろうか……。
 いろいろ考えた挙句、神様がやり直すチャンスをくれたんだと思うことにした。
 僕はもう二度とディノを傷つけたりしない。彼が僕を守ってくれたように、僕も彼を守るために生きていく。そう心に誓った。


 そのとき僕はまだ気づいていなかった。あの悲劇が、紛れもなく通過してきた現実だったということに。
 そして、本当の苦難はここから始まるということに――。
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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

~ディノ・ガレル~

 ――途切れかけていた意識が急転し、光が戻ってきた。視界が大きく広がってゆき、崩れた石造りの街並みが見える。
 潰れたはずの内臓に痛みを感じない。僕は死んだわけじゃなかったのか……? それともここが死後の世界なのか?
 前方には、僕を殺したあの巨大な怪異が確認できる。どうやら僕は死に損なったらしい。あるいは見放されてしまったのかもしれない。
 怪異が腕を一振りし、石造りの家屋をなぎ払う。飛んできた岩が僕の右手に当たり、皮膚が裂け鮮血を散らした――――はずだった。
 ――僕は目を疑った。
 右手についた傷がみるみるうちに修復されていく。血の痕跡さえも残さず、痛みも全く感じない。
 驚き立ち止まっていると、もう一度岩が飛んできた。なんとかかわそうと試みるも、とがった岩がわずかに顔をかすめていく。
 頬が切られ、じわりと血がにじんだ……次の瞬間。またも傷口はわずかな時間でふさがった。恐る恐る指先でなぞってみても、傷はおろかその痕跡さえも見つけられない。
「治る……?」
 いよいよ本格的に危険な状態のようだ。こんな現象が起こり得るとしたら異形成腫活化病が原因としか思えない。僕もとうとう見放されてしまったか……。
「それは違うよ、ディノ」
 ――誰かが言った。
 振り向くと、そこにはローリーの姿があった。覚悟を決めたような、凛々しい顔つきでこちらを見つめている。
 どこか……違うような気がした。普段のローリーとは、なにかが決定的に違っているような……。
「治してるんじゃない。戻してるんだ。人だけじゃなく、全ての物を……」
 ローリーが遠くを指した。巨大な怪異に踏み潰され、瓦礫と化した家々。それが、瞬く間に元の家屋へと直っていった。
 これはローリーがやっていることなのか……? そうだとしたら、いったいどこでそんな力を身につけられたのか――。
「あっ……」
 ――わかった。彼のどこが違うのか。
 真っ直ぐこちらを見つめるローリーの眼。綺麗な空色だったはずのそれが、輝くライトグリーンに変化していた。
 ……赤の魔剣が異常を検知している。ローリーを構成する情報、その一部分。『現在時刻』を表す項目が、ありえない数値を示している……。
 怪我が瞬時に治る。街が瞬時に直る。この超常現象は、本当に彼が起こしているようだ。
 僕がエルメルと対峙したとき――赤の魔剣を用い、青の魔剣が持つ質量操作能力に介入したときと同じように――。ローリーが見放された者と化したことで手にした時間操作能力。その効果範囲を街全体に広げ、壊れたものを再生している。
 あの巨大な怪異がどれだけ暴れ回ろうと、今現在この街に在るものを壊すことはできない。ローリーが能力を展開している限りは絶対に……。
 ――天啓が閃いた。あの巨大な怪異を打倒する方法……。ローリーの能力を解析することで、それが可能になるかもしれない。
 赤の魔剣を用い、情報解析を開始する。ローリーの能力。その詳細について。
「僕は臆病だったかもしれない。後悔に囚われて、先へ進むことを必死に拒んでた。この過去を取り戻す能力は、そんな心のあり方が力を持った結果なんだと思う」
「ローリー。君は……」
「だけど、そんなことばかりしてちゃいけないんだって思った。いつまでも未来に進めないのは、とても悲しいことだから」
 ――能力の解析が完了した。その内容を赤の魔剣に取り込み、数式を再表示する。
 赤の魔剣は対象の構造を数式化して表示する。しかし、数式の一部は暗号化されていて読み取ることができなかった。
 今、ローリーの能力を取り込んだことで、その枷が外れた。暗号化されていて不鮮明だった一部の数式が、正しい数式として読み取れるようになった。
 ざっくりいうと、赤の魔剣に時間操作能力が付加された。この力で怪異を遠い未来の彼方へ送り飛ばす――。
 ローリーの時間操作能力は、過去への移動しかしていないようだし、飛ばせる時間もそう長くはできないようだ。しかしその能力を解析して取り込んだ赤の魔剣なら、未来への移動や長い時間を一気に跳躍することも可能だ。
 これなら、怪異の情報を全て削除するまでもない。一振りで十分。時間の項目を書き換えるだけで、あいつを仕留めることができる。
「あれは……!」
 ローリーが声を上げた。彼の視線を追った先、破壊活動を続ける巨大な怪異に、銀髪の少女――虹色の眼の少女が飛びかかっていた。
 少女の手には剣のようなものが握られている。しかし、それを使う間もなく怪異に振り払われ、虹色の眼の少女は遠くに吹き飛ばされていった。
 彼女が死んでしまったら、僕の手にある赤の魔剣はどうなるのだろう。消えるのか残るのか……。どちらにしても、もう迷っている場合じゃない。
「行ってくるよ」
 静かに――でも力強く僕は言った。その声は、自分でも驚くほどに落ち着いていた。
「うん」
 ローリーはうなずいた。
 目を見ただけでわかる。ローリーが僕に寄せる全幅の信頼。
 どうして彼がそこまで僕を信じられるのか、正直なところよくわからない。けれど今だけは、その想いに全霊で応えたいと思った。
 勝てる勝てないの話じゃない。ただ想いに殉じること。心の声に従うこと。それが僕の成すべきことだ。
 ――駆け出した。
 大通りをただ真っ直ぐに。
 もはや小難しい策など必要ない。最短距離を往くだけでいい。たとえやられても、ローリーが治してくれる。
 巨大な怪異は周辺の家屋を滅茶苦茶になぎ払いながら、僕から離れるように移動していた。
 ローリーの能力は異形成腫活化病により発生しているもの。時間が経ち、変異が彼の脳まで達すれば制御不能に陥る。
 時間操作の力がいつまで持つのかは想像もつかない。早々に勝負を決したいが……。
 焦りを感じたその瞬間、怪異の手から放たれた大きな瓦礫が、こちらにめがけて飛んできた。ローリーの力があるから平気だろうが、受ければ時間のロスになってしまう。
 できることならかわしたい。しかし瓦礫の飛んでくる速度は速く、とても避けられそうにない。
 ――突然、透き通った青い壁が目の前に出現した。飛んできた瓦礫はそれに阻まれ、僕の横を転がっていく。この青い壁はまさか……。
 通りの先になにかが見える。左右に建ち並ぶ家々。その屋根に、二つの人影が立っていた。
 左にはクレール。緑の魔剣で雷を放ち、巨大な怪異の動きを牽制している。
 右はエルメル。長大化させた青の魔剣で、飛んでくる瓦礫を防いでくれている。
 二人とも無事だったのか。――いや。僕と同じように、ローリーが復活させてくれたのだろう。
 ローリー、クレール、そしてエルメル。頼もしい援軍が来てくれた。もう恐れることは何もない。
 なにも考えず全力で走った。クレールの放つ雷が。エルメルの振るう剣が。道筋を切り開いていく――。
 怪異との距離が見る見る縮まっていく。勝利はもう目前だった。
 あと数歩で怪異に剣が届く……。
 そう思った次の瞬間、怪異が素早く向きを反転し、振り返りざまこちらめがけて岩を投げつけてきた。
 今まさに赤の魔剣を振りかぶろうとしていた矢先の出来事。手にも足にも、勢いがつきすぎていて対応することができない。
 赤の魔剣を岩が直撃した。ガラスの割れるような高い音が鳴り響き、無数の赤い欠片が宙を舞った。
「――――!?」
 砕けて散らばる赤の魔剣――。それが一瞬後には僕の手元へ戻ってきていた。壊れる前の完全な形で。
 ローリーの時間操作能力は魔剣に対しても有効なのか。あるいは魔剣自体に再生能力があったのか。
 どちらにしても、これで奴を倒す条件は整った。怪異は手の届く位置にいる。あとはただ剣を振るだけ――!
「これでっ……!」
 巨大な怪異を構成する情報、その一部分。『現在時刻』を表す項目に、滅茶苦茶な値を書き込んだ。
 時刻は300億年後の今日。この怪異が何者であろうと、それだけ時間が経ってしまえば僕たちの世界に影響を及ぼすことはないはずだ。
 怪異が蹴りを放つ。一度は僕を死に至らしめたその攻撃が、この身に触れる寸前で跡形もなく掻き消えた。足先から上へと向かい、段々と怪異の姿が見えなくなっていく。
 自らの異変に気づいたのか、怪異が叫び声を上げる。地を揺るがすその悲鳴すらも、空気に溶け込み消えていく。
 数式に値を書き込んでからわずか数秒後。帝都の全てを踏みにじろうとした巨大な怪異は、存在した痕跡すら残さず完全に消失した。
 霧が晴れ、怪異も消え、目に映るのは澄み渡る蒼天――。その美しい眺望に、僕はしばらく全てを忘れて見入った。



 大通りの向こうから、ローリーが駆けつけてくる。
 辺りを見渡すと、破壊し尽くされたはずの帝都は、いつの間にか元の井然とした街並みを取り戻していた。ローリーの能力によって直されたのだろう。
「さあ、後はローリーだけだ」
 彼はその能力で街や人を直していたのだから、自らの異形成腫活化病も当然治せるだろう。そう思ったけれど……。
「……ごめん。もう無理みたい」
 力なく笑ってローリーが言った。
「さっきの大きいやつがいなくなったからかな……。見放された者としての力が、段々失われていくみたいだ……。これからはきっと、異形成腫活化病は発生しなくなるはず……。これで……良かったんだ……」
 ローリーの足が小刻みに震えていた。もう立っているのがやっとのようだった。
 傍に寄って支えようとする僕を、ローリーは手で制した。
「聞いてディノ。今まで僕は、この能力で何度も過去をやり直してきた。未来になにが起こるのか知った上で、都合のいいように人生を改ざんしてきたんだ……」
 ――そうだったのか。
 僕がロミーナ姉さんと再会できたことも、今日まで無事に生きていられたことも、全ては偶然じゃなかった。ローリーが僕を誘導してくれたからこそ、なにもかもが上手くいっていたんだ……。
「もっと早く、君を帝都の外に逃がすべきだった。全てを君に打ち明けるべきだった。なのに僕は……ディノと一緒に過ごしたくて、それをわざと先送りにしてた。本当に……ごめん……」
 ローリーがふらりと倒れ込んできた。それを抱きとめ、彼が倒れないようしっかりと支える。
「それでも、僕は君の味方だよ」
 赤の魔剣の柄をローリーの背に当て、数式を修正していく。
 数式の暗号化が解除された今なら、記憶に触れることなくローリーの異形成腫活化病を治せる。これで彼は普通の人間に戻れるはずだ。
 ――修正完了。
 ぐったりともたれかかってきていたローリーが、僕から離れパチリと目を開けた。助かったことがすぐには理解できないのか、自身の手の平をまじまじと見つめている。
「僕……生きてる……?」
「そうだよローリー。よく帰ってきてくれたね」
 これでやっと全ての問題に決着がついた。それも、望みどおり最高の形で。
 ほっと息をつき、安堵の笑みを浮かべる。
「いいのかな……本当に……」
 しおらしい声でローリーがつぶやいた。
「なにがだい?」
「こんなに幸せなことがあって、本当にいいのかな……」
 美しく微笑んだローリーの眼から、一筋の光が頬へと伝った。
 背景に広がる大空と同じ色――蒼の双眸。泣き濡れて潤んだその瞳は、彼が見放される前よりもずっと幻想的で優美だった。
「もちろんだよ」
 僕も泣きたいくらいに嬉しかった。
 帝都が救われたこと。青空をまた拝めたこと。なにより、ローリーが戻ってきてくれたこと。幸せそうな彼の表情を見られたことが、嬉しくてたまらなかった。
 普段より小さく見えるローリーの肩を、僕はそっと支えた。安心したせいか、ローリーは小さな子供のように嗚咽を漏らし始めた。



「――だけど、ちょっと不安だな。これから先のことを、僕はなにも知らないから」
 服の袖で涙をぬぐいながら、ようやく泣き止んだローリーが言った。
「大丈夫さ。先のことがわからなくても、未来は僕たちの手で作っていける」
 怖くなんかない。
 僕には最高の友人がいる。彼が一緒なら、どんな不安や障害も乗り越えていける。今はそう信じられるから。
「――うん! 一緒に明るい未来を作ろう!」
 パァッと顔を明るくしてローリーが応えた。――と、そのとき。
 不意に周りから指笛と歓声が上がった。振り返ると、いつの間にか十人余りの人らに周りを取り囲まれていた。僕とローリーの会話を聞いていたのだろう。みんなニヤニヤと冷やかしの笑みを浮かべている。
 すっかり忘れていたけれど、ここは往来の真ん中だった。怪異が暴れていたから誰もいないと思っていたのに……。家の中に隠れていた人たちが様子を見に出てきたのだ。
 知らぬが花とはまさにこのこと。ずっと家に隠れていた面々は、外でなにが起こっていたかわからないのだろう。能天気に笑っていられる彼らが、少しだけうらやましい。
「なーにやってんだか」
 いつの間にか近くまでやって来ていたクレールが、囲みの外でそうつぶやいたように見えた。





エピローグ



 帝都アムルパーレを騒がせた数々の事件は全て終息した。多くの不幸を生んできた絶望の病、異形成腫活化病の根絶と共に。
 被害者はなし。踏み潰されたクレールも、弾き飛ばされたエルメルも、虹色の目の少女も傷一つなく帰ってきた。
 崩壊した僕の故郷も、まるで何事もなかったかのように復活を果たしていた。これもローリーが力を使った成果だろうか。
 事件の後、赤の魔剣は虹色の目の少女に返却した。あれは人の手に余る代物だ。これからの時代には無用の長物だろう。
 クレールとエルメルも僕の意見に同意し、それぞれの魔剣を少女に返した。
 虹色の眼の少女は少し寂しそうにしながらも、これからは自由を満喫するなどと言い残し、そのまま去っていった。
 きっともう少女が僕たちの前に姿を現すことはないだろう。彼女が何者だったのか、目的はなんだったのか、結局わからず仕舞いだった。だが、こうして平穏無事に過ごせるのも、彼女の協力があったからこそ。なにか裏の思惑があったとしても、感謝して然るべきだろう。

 ――あれから早一ヶ月。
 あの巨大な怪異を打倒して以降、帝都でも隣町でも異形成腫活化病の発症者は確認されていない。
 やはりあの怪異が全ての元凶だったのだろうか。それとも、僕の与り知らないところで、誰かが異形成腫活化病の根絶に成功したのだろうか。真相は闇の中だ。


 オルネラのバイオリン演奏が終わって小一時間。深夜の石造り亭で、僕はワインの味を楽しんでいた。
「珍しいね。こんな時間まで飲んでるなんて」
 空のグラスを磨きながら、ローリーが話しかけてくる。もう他の客や店員は残っていない。二人きりの静かな店内に彼の声はよく響いた。
「家に帰っても出迎えてくれる人がいないから、ちょっと寂しくてね」
 ――数日前のこと。クレールは仕事の都合で、僕の故郷の町まで行くことになってしまった。「里帰りしたい」とロミーナ姉さんもついて行ってしまい、僕はしばらく一人で留守番することになった。
 最初の三日間くらいは久々の自由を満喫できたものの、誰もいない家で何日も過ごしたら、段々と人恋しくなってきた。この店でロミーナ姉さんと再会する前は、一人で過ごしていても平気だったのに。
「なんならここに泊まっていく? 客室はちゃんと綺麗にしてあるよ」
 カウンターの向こうからローリーが身を乗り出してくる。子供のようにきらきらと瞳を輝かせて。
 少し迷ったけれど、僕は首を横に振った。
「仕事を残してあるから今日は家に帰らないと」
「そっか。残念だな。お泊りセット用意してあるのに」
 冗談とも本気ともつかないようなことを言って、ローリーは苦笑した。
 お泊りセット……。ここは酒場だから、酔って倒れた客を休ませるための備えがしてあるのかもしれない。
「ディノ。僕のこと、恨んでない?」
 唐突にローリーが尋ねてきた。
「どうして?」
 当然の疑問を返す。僕が彼を恨むような理由は全く思い当たらない。強いて挙げるなら、帝都に霧が出たとき突然行方をくらませたことくらいか。その件は、あれからもう十分に話し合ったはずだけれど。
「えっと……僕、ずっと昔ディノにひどいこと沢山言っちゃったから……」
 ――思ってもみない言葉が返ってきた。
「ひどいこと……? 全然言われた覚えがないけど」
「うん。でも確かに言ったんだ。ディノの口から『許します』って言葉が聞けたら、少しは心が軽くなると思って訊いてみたんだけど……」
 言いながら、ローリーは遠慮がちに何度か視線を送ってきた。
 どうも許してあげないことには納得してもらえないらしい。怒っても恨んでも憎んでもいないけれど、僕はローリーを許すことにした。
「わかった。じゃあ、許します」
「ホントに?」
「許すもなにも、僕はローリーを悪く思ったことなんて一度もないよ」
 ローリーは静かにまぶたを閉じて――。
「そうだね……。そうかもしれない……」
 ――つぶやいた。遠い昔を懐かしむかのように。会えない誰かを慈しむかのように――。
 彼が本当は誰の許しを得たかったのか、僕にはわからない。わからないけれど、もしその人がこの場に居合わせたなら、今の僕と同じことを言っただろうと思う。
「さあ。そろそろ閉店の時間だよ。ゆっくりしていってもいいけど、仕事がまだ残ってるなら、あんまり長居しない方がいいんじゃない?」
 いつもの明るい表情に戻って、ローリーが言った。壁の時計は午前2時を示していた。
「そうだね。また来るよ」
 グラスに一口分だけ残ったワインを飲み干し立ち上がった。ローリーがカウンターを回り、預けていた僕のコートを手にすぐ傍までやって来る。
「ねえディノ。僕は今まで、ごめんねばかりを言ってきたね。でも今日からは、ありがとうって沢山言うよ」
 ぐい、と肩を押され、強引に背中を向けさせられた。コートを広げる気配が後ろから伝わってくる。
「帝都が霧で覆われてたあのとき、ディノが『味方だよ』って言ってくれたこと――。僕、凄く嬉しかった。頑張ろうって思った。前へ進もうって思った」
 僕の肩にコートがかけられた。優しく、柔らかく、そして温かく――。
「ありがとうディノ。僕の大切な友達……」



 イモータル 完 


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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

~ロランベル・アルジェント~

 街角で偶然再会した彼は、以前よりやつれているように見えた。
 大学生のディノ。
 ディノ・ガレル。
 少し前まで友達だった人……。今ではもう、顔も合わせたくなかった相手……。
「ローリー」
 彼が僕の名を呼んだ。本名じゃなく愛称を使われたことに、僕は腹が立った。
「気安く呼ばないでよ」
 努めて冷たく言い放つ。たったそれだけで、ディノの表情は暗く沈んだ。
 それでも沈黙が我慢できなかったのか、ディノはもう一度顔を上げ話しかけてきた。
「調子はどうかな。エルメルやロンブローゾも気にして――」
「そんな話聞きたくない」
 険しい視線で威嚇する。ディノはわずかにひるんだみたいだった。
「キミはいつもそうだ……! 平気で人を見捨てておきながら、まだ善人の顔をしようとする!」
 足元の石畳をにらみつけて、怒りの声をぶつけた。ディノの顔を見ているとどうにかなりそうだった。
 通りを歩く人たちが振り向くのも構わず、大きな声で当たり散らす。ディノはやや気圧されたようだったけど、立ち去ろうとはしなかった。
「僕はただ……君のことが心配で――」
「そうやって! 哀れんで! 見下して! キミは何様なのさ……! もう僕のことはほっといてよ! キミの『人助けごっこ』になんか付き合いたくない!」
 力いっぱい声を張り上げたからか、熱くなっていた頭が少しずつ冷めていく。
 我に返って顔を上げたそのとき、視界に飛び込んできたのは、悲しげで寂しそうなディノの瞳――。
「……わかった。もう行くよ」
 抑揚のない声でディノが言った。続けて口を開きかけたけど――結局なにも言わずに横を通り過ぎていった。
「バチが当たったんだ」
 僕がつぶやいて、ディノは足を止めた。
 ――胸の奥が冷たくなっていくのを感じた。僕は今、取り返しのつかないことを言おうとしている。
 でも抑えられない。堰を切ったようにあふれ出てくる憤りの感情は、押し寄せる濁流となって理性を呑み込んでいく。
「聞いてるよ。家族が亡くなったんだって? キミも思い知っただろう? 表向きどんなにいい人ぶっていたって、神様はちゃんと見てるんだ」
 を吐くたび心が蝕まれていく。自らの悪意に、良心が悲鳴を上げている。
 ディノは……そのまま口を開かず歩いていった。傷つけて、追い返して、残ったのは後味の悪さだけ。本当にこれでよかったんだろうか……。


 ――遠くて暗い深淵の向こうに、忘れられない後悔の記憶がある。
 時のループを体験するより以前。僕が大学で自殺未遂を起こした後のこと。
 誰よりも心配してくれたディノを、僕は冷たくあしらい続けた。良くないことも沢山言った。
 それが当然だと思ってた。彼は僕を見放したから。彼は僕を助けてくれなかったから。
 ――でも、それは間違ってた。
 彼をひどい言葉で傷つけてから三年も経って、僕はようやくそのことに気づいた。
 帝都を最後の見放された者――『アルデバラン』が襲撃したあの日
 ディノは『アルデバラン』から僕を庇い、命を落とした。
 横たわるディノの亡骸を見下ろしたとき、僕は激しい良心の呵責苛まれた
 僕のために命を投げ出してくれたディノ。その彼を、僕は心無い言葉で何度も傷つけてきた。
 悔やんでも悔やみきれない。どんなに反省しても謝っても、あの日のディノと仲直りすることはもうできないんだ。


 時のループに巻き込まれて以降、僕は自分のしてきたことを反省し、いつでもディノの助けになれるよう、彼の身近で努力を重ねてきた。
 体感時間にして200年以上。僕はずっとディノの友達であり続けた。
 過去へ戻されて再会するディノは、僕が何度も傷つけてきた『彼』とは違う。そのせいか、どれだけディノに尽くしても、僕の心が晴れることはなかった。
 だけど、ディノと過ごす日々は、後悔を払拭するだけの喜びと楽しみをもたらしてくれた。
 ――彼は誰よりも優しかったから。――誰よりも誠実だったから。――僕を親友だと言ってくれたから。
 僕は……ディノと一緒の時間がたまらなく幸せだった。
 時の牢獄に囚われたまま悠久を生きるのも悪くないと思い始めていた。
「だけど、いつまでもそこに逃げていたら駄目なんだ。僕が逃げ続ける限り、ディノは前へ進めない」
 暗闇へ向け、今の想いを――ありったけの想いをぶつける。行く手に立ちふさがる見えない壁を打ち砕き、その先へ足を踏み入れるために。
 声よ。届け。暗闇を突き抜け、その先にある未来へと。
「もう戻れなくてもいい! 僕たちは未来に進む……!」
 力の限り叫んだ。願った。
 無限の闇に光が差し、急速に視界が開けていく。そして、僕は――――。
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 ……諦めよう。
 どの道ディノもクレールもみんな死んでしまったんだから、これ以上頑張ったって意味はない。
 今回は失敗してしまったんだ。失敗したなら、また最初からやり直せばいい。もう一度過去に戻って、ディノと一緒に過ごすのも悪くない。
 そう。変わらなくてもやっていける。僕には無限の時間があるのだから。
 ……でも、本当にそれでいいんだろうか。
 僕がこの手でつかみ取りたいもの――。それは過去なんかじゃなくて……。


A:1章からやり直す
B:やっぱり諦めない!


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~ロランベル・アルジェント~

 一目見て、手遅れだとわかった。力なく座り込んだディノの姿と、彼の口からもれる赤黒い血。誰が見ても致命傷だとわかるくらい凄惨な有様だった。
「ディノ! ――ディノ! しっかりしてディノ!」
 無駄だとわかっていながらも、彼の名を叫ばずにはいられなかった。叫びながら妙な既視感を覚えて、僕は声を止めた。
 ――知っている。この光景を見たことがある。
 僕は何度か立ち会っている。ディノの死をこの目で見届けている。
 瞬間、全ての謎が氷解した。
 どうして僕が未来の記憶を持っていたのか。どうしてディノを心の底から信頼しきっていたのか。どうしてディノに負い目を感じていたのか。
 答えは一つ。僕が何度も過去をやり直してきたからだ。
 僕が持っていた未来の記憶。あれは予知能力なんかじゃなかった。この身で体験してきた本当の出来事だったんだ。
 全ては異形成腫活化病がもたらした運命の悪戯。
 僕が見放された者になると、体内で時間の流れが異常化してしまい、記憶を維持したまま過去へと立ち戻る
 僕はそれを何回も、何十回も、何百回も繰り返してきた。死を招く歌声がずっと聞こえていたのも、その後遺症だろう。
 無限に積み重なってゆく思い出はやがて脳の限界を超え、僕の記憶は潰れたプディングのようになってしまった。混ざり溶け合い原型もわからない。無残な思い出の欠片だけが、僕の中にある。


 時のループを何度も経験しているうち、僕はあることに気づいた。
 一つ。僕が過去へ戻されて3年が経つと、あの『アルデバラン』が現れ破壊の限りを尽くすこと。
 そしてもう一つ。僕が過去へ戻されると、アムルパーレのどこかに実在しないはずの人物が現れること。
 この謎の人物は帝都の未来に深く関わっているようで、放置していると『アルデバラン』になってアムルパーレを滅ぼしてしまう。どこに現れるかわからず、時がループするたび名前を変え、誰も話題にしようとしないため、見つけ出すのはとても難しい。
 何十回とループを経験している僕も、まだ両手の指で数えられるくらいしかその存在を確認できていない。
 でも今回は、比較的早い段階でその名を知ることができた。
 ――大皇帝リュシアン。存在しないはずの皇帝。
 彼のいる場所が未来の分岐点だ。だから僕は、彼がいるという石造りの古城へ向かっていた。でも、僕が辿り着くより前にアイツが現れてしまった……。


 怪異が石畳を吹き砕き、その振動で天井が崩れた。無数の瓦礫が降り注ぎ、僕の体を容赦なく押し潰す。
 もうじき僕の命も尽きるだろう。だけど、ディノの後を追うことはできない。そのとき僕は過去へと戻されてしまうだろうから。
 過去に戻っても、今の記憶は残るだろうか。……またディノの名前を忘れてしまうんだろうか。
 せめて、ディノを大切に想うこの気持ちだけでも残したい。――そう願いながら、僕は暗闇に身をゆだねた。


 A:諦める
 B:諦めない!


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~ディノ・ガレル~

 驚きのあまり、しばらく声を出すことができなかった。常軌を逸した非常事態が前方で展開されていた。
 不意に起きた地鳴り。消し飛ばされた霧。そして現れた謎の巨大生物――。
「なんだ……あれは……」
 ずんぐりとした体型の黒い塊……。石造りの古城よりも一回り巨大なその生物が、短い足を前後に動かし二足歩行している。歩くたびにいくつもの家屋が踏み潰され、灰色の砂煙が舞い上がった。あの巨大な怪異は、見放された者なのだろうか……?
「わかりません……が、どうやらあれは私が立ち向かうべき存在のようです」
 僕の隣に立つ虹色の眼の少女は、鋭い目つきで巨大な怪異をにらみつけていた。十年来仇敵に出会ったような、敵意と興奮が入り混じった表情だった。
 虹色の眼の少女が怪異の元へと走り出す。僕もあわててその後を追った。あの怪異が見放された者なら、赤の魔剣で治せるかもしれない。
 旧道を抜け、大通りへと躍り出る。逃げ惑う人たちの間をすり抜けて、怪異のいる場所へと疾走する。
「あれについて、なにか心当たりが?」
 走りながら、僕は虹色の眼の少女に尋ねた。少女ははっきり答えず、短く鼻を鳴らした。
「これは私の推論ですが、あの怪異は世界が生んだ自浄作用なのではないでしょうか。この魔剣と見放された者――ありえない存在たちによって乱された帝都の律を、本来あるべき形に正そうというのでしょう」
「本来あるべき形……? まさか――」
「歪んだ存在の全消去。全削除。わかりやすく言えば、アムルパーレ住民の皆殺しです」
 それが本当なら、なんとしてもあの怪異を止めなければならない。しかし、どうしてもわからないことがある。
「なぜ君にそんなことが言える? その推論の根拠となっているものは、なんだ」
 僕がそう尋ねると、少女は怪異をにらみつけたまま応じた。
「私の源流……いえ、祖先と呼ぶべき存在が、歴史の中で度々アレに似たものと遭遇しています」
「戦ったのかい?」
「ええ。いずれの場合も、敗北し滅ぼされていますけどね」
 勝ち目が薄いことをわざわざ示唆した意図はわかる。「死にたくなければ力を貸せ」と言いたいのだろう。
 虹色の眼の少女が魔剣を他人に譲渡する行為について、僕はずっと疑問を抱いていた。今、その理由が少しだけわかった。
 少女はずっと、あの怪異との戦いを念頭に置いていたのだ。自分の力だけでは勝てないと思っていたからこそ、協力者を集めていた。その対象がどうして僕やクレールなのかはわからないが……。
 ――突然、閃光が走った。
 怪異の進行方向――赤いレンガで造られた家屋の屋根に、小さな人影が立っている。
 緑の魔剣を携えた小柄な女性が、その剣先から雷撃をほとばしらせ、迫り来る巨大な怪異を迎撃していた。
 そして、怪異に立ち向かう者がもう一人――。
 突如空中に巨大な青の剣が顕現し、怪異を背後から強襲した。
 巨大な剣を操るのは、逆立つ赤い髪の男……。怪異との体重差をものともせず、懸命に立ち向かっている。
 ――クレール。
 ――エルメル。
 二人が戦っている。石造りの都を守るために。
 これまで多くの見放された者をなぎ倒してきた緑と青の魔剣。しかしその力も、あの巨大な怪異には通じていないようだ。二人の猛攻を怪異はまるで気にする様子も見せず、家屋を破壊しながら突き進んでいく。
 真っ直ぐに前へ――クレールのいる方向へと。
「――クレール!」
 クレールが立っていた建物を、怪異が踏み潰した。あの距離とタイミングでは逃げるのも難しかっただろう。彼女は無事なのか……!?
 エルメルが高く跳び上がった。質量操作の能力を利用した、数百フィートもの大跳躍。太陽を背にしながら、空中で青の魔剣を巨大化させ、怪異めがけて振り下ろす。
 重くて鈍い衝突音が響き、怪異の頭頂部に青の魔剣が深くめり込んだ。
 しかし、それすらも意に介さず、怪異は前へと歩いていく。途中、羽虫を振り払うかのように、頭に刺さった青の魔剣をエルメルごと弾き飛ばした。
「エルメル!」
 二人の救出に向かおうとした瞬間、感じたこともない強烈な悪寒が全身を覆い、僕は立ちすくんだ。
 おぞましい殺気が、あの巨大な怪異から僕へと…………あるいは、僕の傍にいる虹色の眼の少女へと向けられていた。
 まるで金縛りにあったよう。靴底が石畳にべったり張りついて動かない。全身から嫌な油汗がにじみ出てくる。
 これは……恐怖……?
 理性、論理的思考の及ばない部分――。人間が捨てきれない、動物的本能の部分が訴えている。立ち向かうべからず――と。
 右手を伸ばし、赤の魔剣をつかみ取った。
 ――視界の端々に無数の数式が浮かび上がる。あの怪異を構成する情報、その全てが表示されている――。
 ……見放された者じゃ……ない。表示されたステータスからは何者なのか判別がつかない。死の数式を書き込んでも、怪異は止まらないだろう。それどころか、なにをしても通用しない恐れがある。
 怪異はめまぐるしく数式を変化させていた。多少数式を刈り取ったところで、恐らく有効打とはならないだろう。
 虹色の目の少女はあれを自浄作用と表現したが、その言葉の意味が少し理解できた。あの怪異は少女が危惧したとおり、魔剣に対抗すべく生まれてきた存在のようだ。
 赤の魔剣では、アイツを倒す手立てがない。数式を全て削除すれば消えるかもしれないが、時間がかかりすぎる。
 どうすればいい――?
 いったいどうすれば――。
「ディノさん!?」
 虹色の眼の少女が声を上げた。彼女がなぜ僕の名を呼んだのか、一瞬理解できなかった。
 僕は駆け出していた。絶対的脅威をたたえたあの怪異へ向かって。さっきまで足がすくんでいたのに――?
 急にやる気が湧いてきたのでも、催眠術にかけられたわけでもない。僕が突撃を敢行した理由。それは恐怖だ。
 死ぬかもしれないという緊張――不安に、人の心は容易く食い潰される。死の恐怖を押し殺してじっと待つことなど、常人には耐え難いことなのだ。
 解放を求めて走る。その先に死が待ち受けているとしても。
 勇気ではない。臆病さが生んだ暴走。危険だとわかっていても足を止められない。
 こうなってはもはや覚悟を決めるのみ。せめてもの一太刀に賭けるしかない。しかし――!
 巨大な怪異が太くて短い足を振った。路傍の石を蹴飛ばすように。
 ごう、と凄まじい風切り音が聞こえ、怪異の足先が僕の胸を直撃した。
「うぐぁっ!」
 信じられない速度で吹き飛ばされ、僕の体はレンガ造りの家に激突した。それでも勢いは止まらず、壁を突き抜けて家の奥まで転がった。
 屋内の突き当たりにぶつかる衝撃があって、ようやく体が止まった。壁に背を預け、座り込んだ姿勢で正面をにらみつける。
 どうにか赤の魔剣だけは放さなかったが、だからといって事態が好転するわけでもない。
 全身を打った痛みで、視界がぐにゃりと捻じ曲がった。頭からどろりとした赤いものが流れてきて、僕の右目に入り込んでくる。
 動こうと踏ん張ってみても、体は全く言うことを聞かない。どうやら僕は……ここまでのようだ。
「ディノ!」
 視界の外で、誰かが僕の名を呼んだ。声の主を見上げようとしてみるが、もはや顔を上げることすらままならない。
 ――とても…………眠い……。まどろみの中に意識が溶け込んでいく……。
 目を閉じた。まぶたの向こうで、誰かが必死に僕の名を呼んでいた。その声が、徐々に遠くなっていく。命の火種が消えていく――。
 これまで逢った全ての人を思い返しながら、僕は二度と這い上がれない闇の底へと沈んでいった。
 
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