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サトルカゲユウ 4章

 ――ココロが育ての母親と和解していたその頃。
 魔族たちの領地から程近い都にて、時代のうねりが起こり始めていた。都の中央広場に大勢の民衆が集まり、ある人物の言葉に耳を傾けている。
 うねりの中核、火付け役となっているのはロゼ。王制撤廃を訴え、壇上で大々的な演説を行っていた。
 魔城で起きたクーデターとは違う。支配層内部で政権移動するクーデターとは異なり、支配されている側が国家権力を奪取する。すなわち革命である。
 すでに演説開始から十数分が経過している。吹きつける寒風に体を震わせながら、それでも聴衆はロゼの言葉に耳を傾けていた。
「今。この国は閉塞感と将来への不安に満ちているわ。ここに集まった貴方たちも、それは身に染みていると思う」
 威風堂々と弁舌を振るうロゼ。地味な毛糸の帽子をかぶっており、身に着けている衣服はやや薄地でみすぼらしい。
 彼女もまた寒さに耐えていた。自分だけが高価な衣類を着込むわけにはいかなかった。
 ロゼが求め訴えるのは民主政治。自身が聴衆らと同等であることを示すため、あえて簡素な身なりでこの場に赴いた。
「誰もが学校教育を受け、誰もが毎日パンを食べられる。そんな世の中を目指して私も尽力してきた。だけど、変わらなかった。貴族たちが権力を独占している限り、この国を変えていくことは不可能に近い」
 ロゼの言葉を受け、中央広場に動揺が走る。どよめきがある程度収まるのを待って、ロゼはもう一度口を開いた。
「貴族たちは言ったわ。『貴族以外、人はいない。民は家畜なのだ』と。私もその通りだと思う。こんなに勤勉で優秀な国民を、貴族たちは一方的に虐げ、搾取し、家畜同然に扱っている。家畜でなければのいい奴隷だわ。自分の力でお金を稼いだこともない貴族らが、集めた税金で酒を浴び、食べ物をドブに捨て、女を漁り、私腹を肥やしている。そのような無法がまかり通る世の中を、いったい誰が望んだというの?」
 貶め、そして持ち上げる。ロゼの巧みな弁舌に翻弄され、集まった人々は心を掌握されつつあった。
 弁舌だけではない。普段の感情を殺した薄ら笑いは鳴りを潜め、ロゼは喜怒哀楽を前面に押し出している。溢れ出る感情が人々の共感を呼び、強力な魅了効果を及ぼしている。
「冗談じゃないわ……。世の中を支えているのは、一握りの上層階級者なんかじゃない。全て貴方たち働く者の力よ。物言えぬ労働者がこの社会を支えている。私は企業のトップに立つ者として、その姿を間近で見続けてきた」
 正義の怒りをにじませ、ロゼが言葉を紡ぐ。彼女の胸中に『正義の怒り』など、本当は微塵も存在していなかったが、傍で見ている者にわかろうはずもない。壇上に立つ彼女の演技は完璧だった。
唾棄すべき悪は王制。貴族政治。それを許してきた法の数々。悪法もまた法なりと古代の識者は言ったわ。たとえ悪でも法は守らなければならない。なら、私たちで作りましょう。個のためではなく全のため、新しい法を。これは大義や理想の話じゃない。私たち市民が当たり前の生活を送るために必要なこと」
 ロゼは一旦そこで話に区切りをつけた。集まった人々の間に、ざわめきが広がっていく。
「あのっ。質問が」
 聴衆らが続々と挙手し、黙り込んだロゼに向かって質問を投げかけた。
「議員は一般市民の投票によって選定されるのでしょうか」
「もちろん。国民の意に沿わない人間は、政界から出て行ってもらうわ」
「貧乏人の子供でも教育は受けられるようになるでしょうか」
「もちろん。ここに用意した憲法草案は、単なるマニフェストや机上の空論なんかじゃない。自由経済を大きく発展させるで促進剤あると同時、国民が国家に搾取されないための強力な抑止力でもある。認められれば私たちだけじゃない、子々孫々の代まで守ることができる。詳しい内容は、後援会の事務所で確認できるわ」
 ロゼは一冊の草稿書を取り出し、聴衆の一人に手渡した。
 書かれてある内容は、一見するとまともである。現行の法律と比較した場合、一般人にとって嬉しい草案であることは間違いない。しかし内実は、安定した搾取を長期的に可能とするための謀略である。
「みんなが幸せになる……。そんな時代が本当にやってくるのでしょうか」
 そう言ったのは、ボロボロの布切れを身にまとったみすぼらしい少女だった。
「もちろん。そのために私たちは戦う。理不尽な王制に。貴族至上主義社会に。はびこる悪に。物言えぬ労働者に代わって、全霊で戦いを挑む」
 ロゼは演説台から地に降り立ち、みすぼらしい少女の五指を両手で優しく挟み込んだ。
「共に立ち上がりましょう。未来は私たち一人一人の手にあるわ。今なら変えられる。今こそ行動を起こさなければならない。革命を起こし、民主政治を成立させるために」
 誰かが「そうだ!」と賛同し、続いて周りの聴衆らも声を上げ始めた。
「全ての労働者に健康と文化、自由、そして毎日のパンとスープを約束しましょう。長く続いた奴隷社会から脱却するため、ここに多くの賛同者が集うことを願う――!」
 中央広場が割れんばかりの拍手と歓声で包まれた。熱狂が人から人へと拡散し、街全体を呑み込んでいく。
 広がる熱――。その中心にある核は、ロゼ個人の欲望。心読みの力を持つココロ・ニルーファですら見抜けなかった強い邪念。
 正義の仮面をかぶったその裏側で、悪鬼が如くほくそ笑む。彼女の本性に気づいている者は、ここに居ない側近のフュラーただ一人だけだった。
「……さて」
 歓声が治まりかけた頃を見計らい、ロゼは口を開いた。
「せっかく盛り上がってきたところだけれど、私はこれから魔の領地へ行かなければならない。世の中を不安に陥れているもう一つの元凶……魔王を滅ぼすために」
 静かなどよめきが起こった。ロゼの言葉に、皆がその真意を量りかねているようだった。
「騒がないで。大切な時期だからこそ、誰かがやらなければならないことなの」
 硬い表情でロゼが言葉を紡ぐ。
「この国の王や貴族は、声高にこう言ってきたわ。戦え! 戦わなければならない! 戦おう! 明日をつかむために! ……でも彼ら自身は戦ってこなかった。華々しい理想を唱え、民衆を戦争に駆り立てておきながら、彼ら自身は決して戦わない!」
 死ぬ気などさらさらない。命を懸けて挑んでいる――と。民衆にアピールすることが狙いである。硬く厳しいその顔つきは、聴衆を騙す上で、十分すぎるほどの効力を発揮した。
「私は最前線で指揮を執るわ。もしかすると、死ぬかもしれない。でも立ち止まらないで。既にこの国は大きく動き始めているわ。私が死んでも革命の火は絶えない。志のある者がこの憲法草案を現実とし、世の中は変わる。変えられる。これだけ多くの人がいて、成し遂げられないはずがない!」
 ロゼの声が天高く響き渡る。
 聴衆の心を震わす鋭い美声に、ある者は奮い立ち、ある者は涙し、またある者は惜しみない拍手を注いだ。
「国の未来をあなたたちに託すわ。……それじゃあ――行ってきます」
 ロゼは顔の横で小さく手を振った。悲壮な決意に彩られた微笑みを浮かべ、その場から立ち去っていく。
 主役の消えた会場に、地鳴りのような歓声が響き渡った。


 ――舞台を降りたロゼの前に、音もなく一人の男が現れた。黒い礼服で身を包んだ細身の男。フュラーである。
「あら。もう戻っていたの? ご苦労様」
「寒い中お疲れ様でした。お嬢様」
 フュラーが厚手のケープを差し出す。ロゼはそれを受け取って羽織り、満足げに微笑んだ。
「気が利くようになったわね。そうよ。あなたは平気でも、私は寒いの」
 元来フュラーは気の利かない男だった。なまじ精神力や身体能力が常人離れしていたために、普通の感覚が理解できていなかった。
 暑くても平気。寒くても平気。孤独にも耐えられる。重量物を軽々と持ち上げ、切り立った崖を装備なしでよじ登り、真夜中の森林を全速力で駆けても障害物にぶつからない。
 周りの人らからすれば厄介なことに、彼はそれが普通だと思っていた。そのため、数多くの場面で人の苦労に気づけなかった。
「当面この町ですることはもうないわ。予定通り、魔王城の手前に向かいましょう」
「革命を確実に成すため、今しばらく残られるべきなのでは……」
 フュラーが進言したが、ロゼは首を横に振った。
 ――この都は魔族の領地に近く、民衆は常々侵略の脅威にさらされている。市民革命の完遂まで、魔族に背後から攻め入られるようなことだけは避けたかった。
 ロゼにとっては革命そのものより、後に残る街や人の方が重要だった。魔族ににらまれている現状は芳しくない。
 可能なら魔族を殲滅したい。それが無理でもせめて守りだけは万全にしたい。いずれにしても不確定要素に入り込んでもらいたくはない。
「各地でのお膳立ては済んでいるし、革命については問題ないわ。後は放っておいても勝手にやってくれるでしょう」
「大衆の動きは、私には予測がつきませんが……」
「この寒さがいいわ。寒さは人の脳機能を麻痺させ、判断力を低下させてくれるから。つまり、洗脳にかかりやすい。冷やされすぎて寝ぼけた頭に、私の声はさぞ美しく響いたでしょうね」
 毛糸の帽子をかぶっていたのは、寒さから頭部を守るため。体の働きより頭の働きを重視する。彼女ならではの防寒対策だった。
「市民革命……。これほど多くの人が志を一つにすることなど、お嬢様が居なければあり得なかったでしょう。お見事です」
「滑稽だわ。いくら志が高くても、彼らは結局のところ暴徒に過ぎない。……未来を変えたい。より良い世の中を作りたい。そういう気持ちはあっても、具体的になにをするかは全く考えてないし、責任を背負う気もない。とりあえず革命を起こして、それだけでなにかが変わると思ってる。政治のことは成り行き任せでね」
「王制を廃しても、国は変わりませんか」
「変わるわ。私がいるもの」
 決して口先だけの自信ではない。ロゼにはこの国の展望――時代を百年先まで推し進めるだけの一大計画があった。国の運営も、彼女にとっては事業の一つである。
 経営者が政治家に転身し、輝かしい実績を残した例は枚挙に暇がない。彼らは現実的な経済観念を持ち、他者を懐柔する術と実行力に長け、金稼ぎの方法と一般社会の厳しさを知っている。
「今はまだ、恵まれない人たちに怒りの矛先を与えてあげただけ。そこから先の時代、民徳が問われることになるでしょうね。まずはインフラ整備。法整備。先立って交通網と教育制度を充実させなくてはならないわ」
 気の長い計画だったが、ロゼは本気で成し遂げようとしていた。自信と希望に満ちた表情で、未来へ想いを馳せる。
「楽しみね。もうすぐ全てが私の足元に跪く」
 じわりとにじみ出るロゼの微笑みは、悪鬼か悪魔のそれである。薄皮一枚めくれば、真っ黒な貪欲と不純が大陸全土を覆い尽くすだろう。
 ――実際に。彼女の思惑は現在進行形で国を動かしつつあった。目論見どおり交通整備が充実し、十分な教育が国民全体に行き渡れば、国力は加速度的に高まっていくはずである。
 しかし先々ばかりを見据えてもいられない。輝く未来を手にするため、まず目の前の仕事を片付けなければならない。魔王討伐という手近な仕事を。
「それでフュラー。首尾はどうだったの?」
「はい。魔王城への潜入及び偵察任務。無事完了致しました」
「聞くわ」
「報告します。魔城内部でクーデターが起こり、大多数の民が反旗を翻した模様」
「あらあら」
 ロゼは楽しそうに笑った。
 人間が革命を起こし、魔族たちの間でもクーデターが起きていた。その奇縁に言い知れない喜びを覚える。
「魔族の女王は、自身の武力にてこれを鎮圧。元老議会は消滅し、民衆も下りました」
「強い者が一番偉い……。まるでサル山の大将ね」
 時代錯誤とも言える腕力至上主義の掟。ロゼからすれば馬鹿馬鹿しくもあったが、同時に好奇心も掻きたてられた。
 魔族の王メビスは、世界でも珍しい女性君主である。同じく女性でありながら統治者を目指すロゼにとって、その治世のあり方は興味の対象だった。
「数万の群衆を束ねた『強さ』です。戦力を見誤れば痛手を負うことになります」
 フュラーの言葉にロゼがうなずく。
 戦えば勝つ。そのこと自体に疑いはない。
 しかし、勝てば良いという話でもない。九の利益を得るために、十の被害を出していては割に合わない。
 確かに魔族の持つ異能は魅力的である。手に入れることができれば、国取りの成功率は一気に跳ね上がる。
 王国だけに収まる話ではない。魔族が有していると思われる未来予知の力に加え、ロゼの持つ資金、政治力、人脈、求心力をフル活用すれば、世界を治めることさえ可能である。
「お嬢様」
「わかってるわ。無茶はしないし、部下にもさせない。様子見しつつ美味しいとこだけいただきましょう」
「賢明なご判断かと」
「でもフュラー。いくら魔王が強いといっても、貴方なら負けはしないでしょう?」
 ロゼが尋ねる。彼女には絶対の自信があった。フュラーならば魔王が相手でも必ず勝利するだろうと。
 フュラーは必ず「はい」と答えてくれる。決して不遜などではなく、事実のみを正確に捉えた上で。ロゼはそう信じきっていた。しかし――。
「……それは、わかりません」
 飾らない言葉でフュラーが答えた。
 ロゼのこめかみがぴくりと反応を見せる。彼女はフュラーの能力を、当人以上に絶対視していた。
「駄目よ。貴方が負けるなんて、そんなこと許されないわ」
 敗北などあってはならない。信頼が崩れ去ることなどあってはならない。その信仰心が、ロゼを軽挙へと駆り立てた。彼女にとってフュラーの存在は、最強の矛であり盾であり弱点でもあった。
「予定変更。魔王のところに向かうわ」
「お嬢様――」
「意見しても無駄よ。もう決めたもの」
 不機嫌をあらわに言い放ち、早足で歩き出すロゼ。主の背中をしばし無言で見つめ、フュラーはゆっくりと後を追った。二人の前途を遮ろうとしているかのように、深々と雪が降り始めていた。



 真昼でも薄暗い兵士たちの訓練場に、魔王メビスの声が響いている。むさ苦しい訓練場には似つかわしくない黒羽のドレスをまとい、女王メビスは段の上で演説を行っていた。
 訓練場には大勢の魔族が雑然と居並んでいる。女王メビス本人の口から重大な発表があると知らされ、この場に集められた魔人たちである。
「皆の者。今日までよくぞ耐えた」
 ねぎらいの言葉が述べられ、集められた魔族たちは顔を見合わせた。魔王メビスが民をねぎらうことは、極めて珍しかった。
「今日皆を集めたのは、人間どもに対抗するための手段……その準備が整うたからじゃ」
 淡々と話を進め、メビスが足元を指し示す。その先には、魔族の根幹にまつわる重要な秘密があった。
「この城の地下には死者の霊魂を集める壷が封ぜられており、そこには此度の戦争で命を落とした同胞と人間の魂魄が収められておる。その数約十万――。この魂とわらわの生き胆を供物とし、存在解放能力アトランティスを発動する」
 聴衆たちの間でどよめきが起こる。生存競争だと思われていた戦争に別の意味があったと知らされ、皆動揺を隠せなかった。
「ではまさか、我々が人間と戦をしてきたのは、死者の魂を集めるためであったということなのでしょうか?」
 先頭の魔人が尋ね、メビスは静かにうなずいた。
「それもある。……が、どちらにせよ人間どもは異なる存在である魔族を認めはせぬ。三百年前のように、な」
 存在解放能力アトランティスは、存在封印兵器アルカディアの対となる能力として編み出された異能。心臓を糧に発動し、封じられた存在を地上へと呼び戻すことができる。
 約三百年前。魔族たちは、その存在を危ぶんだ人間により異界の彼方へと追いやられた。存在封印兵器アルカディアの力でもって。
 その後、『ある理由』からたった一人地上に残ることのできた魔人がアルカディアを発動し、自らの命と引きかえに魔族を解放した。その功績は魔族たちの間で伝説として語り継がれている。
「しかしメビス様。我々はここにいるではありませんか。この上いったい何を解放すると言うのですか?」
 一人の魔人が質問をぶつけた。
「決まっておるであろう。我ら魔族が異界にて遭遇した化け物どもを解き放つのじゃ」
 当たり前のように言って、メビスが金色の瞳を輝かせる。
「かつて我らは存在封印兵器アルカディアの力により、異界の彼方へと追いやられた。草一つ生えぬ不毛の地で、三百年もの苦行を強いられてきた。その復讐を果たすのじゃ。憎き人間どもを一人残らず駆逐し、我ら魔族が大地をものにする」
「わ、我々は人類の滅亡など望んではおりません」
 聴衆の最前列に立つ男がそう言った。――次の瞬間。メビスの放った貫手突きが、発言者の胸板を打ち抜いた。
「ひっ」
「うわっ」
 周囲の魔族たちが悲鳴を上げる。
 青く細い指先が、魔人の胴を貫通していた。叫ぶ間もなく絶命した魔人を、メビスが片手で投げ捨てる。
「魔族と蔑まれ、迫害を受け、挙句全てを奪われ、剰え存在までも封印された。そこまでされてもまだわからぬのか? 我らと人間は、共存し得ないということが」
 憎しみに満ちた目で虚空をにらみつけ、メビスがゆっくりと歩いていく。
 身の毛がよだつほどの殺気に当てられ、誰もが怯えすくみ上がった。――たった一人を除いて。
「お待ちください」
 メビスの前に精悍な顔つきの男が立った。
 ――マドゥだった。
 突き出した手の平をメビスへと向け、腰を落として身構える。先日彼がココロと共闘した際、大ムカデにとどめを刺した異能の構え。
 向けられた手の意味を理解し、メビスは目を細めた。
「そこを退くのじゃ、マドゥよ。錆びついた技で倒れるほど、易くはないぞ」
「力で止められるとは思っておりません。が、ここは動けません」
 立ちふさがるマドゥを前に、メビスは口を固く結んだ。
 誰もがわかっていた。止められるはずがないと。メビスがその気になれば、マドゥを殺すことなど造作もない。
「この国は……もう終わりだ……」
 家臣の一人がつぶやき、がっくりとひざをついた。
 長く劣勢の戦を強いられてきたことで、魔族たちの疲労と緊張は頂点に達していた。そんないつ心が折れてもおかしくない状態で明かされた、戦争の意味。さらにメビスは、異界の怪物たちを呼び出すつもりだと言う。疲れ切った魔族たちの心を折るには十分すぎる事件だった。
「…………」
「…………」
 沈黙するメビスとマドゥ。二人の間に張り詰めた緊張がピークを迎えた――そのときだった。
「緊急報告! 侵入者です!」
 訓練場に魔族の男が入ってきて、大声で叫んだ。場の緊張が瞬時に引き裂かれ、メビスは肩の力を抜いた。
「報告せよ。詳しく」
 冷めた口調でメビスが促す。
「女です! 人間の女が一人、この場所へ向かっています! 恐ろしく強く、誰にも止められません!」
 魔族の男は早口で言った。
「女だと……?」
 話を聞いていたマドゥが顔色を変えた。その事態を想定していないわけではなかったが、彼の予想と比較してあまりにも早い襲撃だった。
「ならば俺が打って出る! 残る者たちはここを死守しろ!」
 勇ましく兵に指示を飛ばし、マドゥが訓練場から外へ向かおうとする。
「待つのじゃ」
 落ち着き払った声が響いた。魔王メビスの制止だった。
「出ずともよい。もう来ておる」
 メビスがつぶやき、その直後だった。大扉が開け放たれ、薄暗い訓練場に光が差した。
 後光を背負い敢然と立つ小柄な少女。赤い巻き毛が背中で揺れ、絹糸光沢を帯びた服が燭台の灯を受けて輝く。
「全員、そこを動かないで!」
 少女の鋭利な一声が空気を切り裂いた。従う理由はないはずだったが、ほとんどの魔族は言葉どおりに動きを固めていた。
 ――少女の名はロゼ。
 魔人以上の悪意と欲望を持ち、人以上の善意と高潔さを併せ持つ英傑。
 彼女はまるで混沌のエネルギーそのものだった。リアリストであり、ロマンチストでもある。利己主義者であり、博愛主義者でもある。
 常人に彼女を理解することはできない。たとえ心が読めたとしても、その思考を測り知ることはできない。
 ――今も、そう。
 どのような思考回路を持てばそれが可能なのか。到着したばかりでありながら、ロゼは見るべき相手だけを視界に捉えていた。
 敵地の只中にありながら。多くの魔人に囲まれていながら。
 揺るがない。真っ直ぐ放たれた眼光が、業魔女王メビスを正確に射抜いている。
 その自信に満ちた立ち振る舞いは、百戦錬磨の魔族たちをも戦慄させた。
 それは同時に期待も抱かせた。この小柄な侵入者が業魔女王メビスを倒し、自分たちを滅亡の未来から解放してくれるのではないか――と。
「なん……誰だ……?」
 ただ一人困惑の表情を浮かべているのはマドゥ。女が一人と聞いて、彼だけは別の人物を想像していた。――待ち望んでいたと言っても過言ではない。
「大山鳴動してネズミ一匹とはのう。胡乱なことよ……」
 不気味な薄ら笑いを浮かべ、メビスがロゼに歩み寄る。即座にマドゥが駆け寄ろうとしたが、メビスは軽く手を振って制止した。
「貴女が王ね?」
 よく通る声でロゼが尋ねた。
「いかにも」
 微笑みを崩さずメビスが答える。
「会いたかったわ」
 ロゼが口角を吊り上げた。その美しく邪悪な微笑みは、見る者の顔色を一瞬で凍りつかせた。
 そこに居る全ての者たちが感じ取っていた。ロゼの五体から発せられる、悪意に満ちたいびつなオーラを。
面映いのう。客は絶えて久しい……。饗の用意はできておらぬが、歓迎しようぞ」
 動じていないのは業魔女王メビスただ一人。彼女もまた底知れない邪悪。
 圧倒的なカリスマ性で信奉を集めるロゼ。類稀な暴の力により魔族を従えるメビス。
 どちらも強く、美しく――苛烈で、忌まわしい。誰も二人のようにはなれない。その領域へ至れない者は、むしろ幸運である。
露払い、お願い」
 ロゼがぱちんと指を鳴らした。瞬間、入り口扉の向こうから、黒服の男たちが次々とやってきた。
 ロゼの護衛隊。総勢二十人。隠密術に長けた選りすぐりのメンバーだった。
「全員なにをしている! 陛下を守れ!」
 マドゥの号令を受け、魔族の兵団はロゼに狙いを定めた。手近にある訓練用の武具を取り、ロゼの元へと殺到する。
「無駄よ」
 嘲笑を含んだ声でロゼがつぶやく。
 向かってくる魔族を、黒服たちが次々と打ち倒していた。誰一人ロゼに近づくことはできない。
 ロゼの護衛隊員は、一人一人が言葉通り文字通りの一騎当千。戦術や戦略、戦う相手にもよるが、一人で千人を相手取ることも可能な精鋭揃い。方々との小競り合いで力を落とした魔族の軍勢など、相手ではなかった。
「よい。皆の者よ」
 メビスの声が響き渡り、魔族の兵らは一斉に動きを止めた。
「なかなかに楽しめる相手のようじゃ。邪魔をしてくれるな」
 メビスはロゼだけを視界に捉えていた。護衛団の強さにも、味方の負傷にも、一切の関心を示さない。ただロゼを――活きのいい獲物だけを凝視している。
「その瞳。なかなかに美しい。えぐり出して飾るとしよう」
 メビスはかぎ状に曲げた人差し指と中指を、ロゼの双眸めがけて鋭く振り下ろした。ただ当てるだけではない、眼球のえぐり出しを狙った強力な目潰し。
 ロゼは動かない。腕組みをしたまま、じっと目を閉じている。口元に冷たい笑みをこびりつかせて。
 ――乾いた破裂音が鳴り響いた。メビスの放った目潰しは、ロゼのまつ毛に触れるか否かのところで止められていた。
「なんと」
 メビスが驚きと感心の入り混じった声を上げる。かぎ状に曲げていた二本の指が、逆の方向へ折り曲げられていた。
 ロゼの背後に音もなく出現した『影』が、メビスの攻撃を弾き返していた。
 その影とは、ロゼがこの世で最も信頼する男。黒い礼服の従者フュラーである。
「そのままフュラー以外の総員で進路を確保。……フュラー。魔王を仕留めなさい」
「承知いたしました」
 ロゼの命を受け、静かな声でフュラーが応えた。
 昂ぶらず、驕らず、揺るがない精神。それが彼の強さだった。何者が相手でも、フュラーは常に百パーセントの実力を発揮することができる。
 直線と曲線の軌道を描き、フュラーの拳と足がうなりを上げてメビスに迫る。
 メビスはそれを瞬時に回避したが、次の瞬間にはまた違う角度からの攻撃がいくつも向かってきていた。
 髪一本分のブレすらない精密な攻撃。精密な移動。精密なフェイント。
 矢継ぎ早に繰り出される技の数々は、恐ろしく早くそして強い。一つ一つが必殺の破壊力を秘めている。
 ――秘められている。外野がそれを目撃することはなく。
 両者の動きがあまりにも速すぎて、周りの者たちはそこでなにが起こっているか把握できない。固唾を呑んで見守るのみだった。
 目にも留まらぬフュラーの猛攻を、メビスは回避し続けていた。ただの一度もかすらせることなく、攻撃を紙一重でさばいている。
 もはや異次元と化した戦場に、一騎当千の精鋭たちですら踏み入る余地はない。踏み込めば彼らとて、その瞬間肉塊に変えられてしまうだろう。
「魔族の女王……」
 ぽつりとロゼがつぶやいた。攻めあぐむフュラーの姿を目の当たりにしながら、その表情に不安や焦りはない。それどころか興味深げに瞳を輝かせている。
 彼女の関心は業魔女王メビスが持つ能力にあった。メビスはまるで未来が見えているかのように攻撃をかわし続けている。それは彼女が予知能力者である可能性を示していた。
 求めていた未来予知の力。可能なら手中に収めたかったが、不確定要素が多い現状においてはメビスの打破を最優先しなくてはならない。相手はフュラーと互角に渡り合える実力者なのだ。欲をかけば全滅する危険性もある。
 ――ロゼの心中を察したかのようなタイミングで、フュラーが新しい動きを見せた。隠し持っていた煙玉を取り出し、勢いよく足元に叩きつける。破砕した球体から白煙が広がり、居合わせた者たちの視界を奪う。
「未来読み対策。いくつか用意したわ」
 煙の中でロゼがつぶやく。煙玉はロゼが用意させた未来予知対策の一つだった。もし未来読みの能力者が視覚からの情報で予知を得ていた場合、視界を封じることで能力も封印できる。そう当たりをつけての作戦だった。
「む……? どこじゃ……」
 それまで好調だったメビスの動きが、煙に包まれた途端鈍くなった。
 ロゼの読み通り、メビスの異能は『未来の光景を見る』力である。状況を目で把握できなければ、未来読みの力はほぼ無力化される。
「…………」
 無言で白煙の底を駆けるフュラー。その姿は何者にも捉えられない。気配を消すことに長けた彼は、視界の悪い空間でこそ真価を発揮する。
「ぐぶっ」
 メビスがくぐもった声を上げる。
 ドレスコートが躍り、黒羽が舞った。
 白煙が流され、徐々に晴れてゆく視界。衝突した二人の姿があらわとなる。
「馬鹿な――!」
 声を上げたのはマドゥだった。彼はメビスの勝利を固く信じていた。
 攻撃を当てていたのはフュラー。数多の敵を屠ってきた必殺の貫手突きが、メビスの胸に深々と突き刺さっていた。
 ――勝負が決した。
 誰もがそう思った。たった二人を除いて。
 その二人とは、技を放ったフュラーと、それを受けた魔王メビス。
 心臓を潰されたはずのメビスだが、英気はまるで衰えていない。間近にいるフュラーは、それをはっきりと感じ取っていた。
 メビスの背がぱちんと音を立てて爆ぜた。そこから八本の長い触手が伸び、前後左右からフュラーに襲いかかる。
 フュラーはその場から離脱しようとしたが動けなかった。メビスの胸に突き刺さったままの指先が――抜けない。凄まじい筋肉の収縮により押さえ込まれている。
「――!」
 八本ある触手のうち七本が、一瞬でフュラーの体を刺し貫いた。胴、肩、わき腹、右胸、背、腕、脚。全ての箇所を貫通し、フュラーを空中に固定する。
 血を吐きながら、フュラーは正面をにらみつけた。視線の先には、まだどこにも突き刺さっていない一本の触手が踊っている。
「とどめ」
 メビスが宣告すると同時。最後の触手がフュラーの心臓めがけて伸ばされた。体中を串刺しにされたフュラーは、身じろぎ一つできない。そのまま左胸を貫かれ、ぐったりと動かなくなった。
 触手が蠢き、フュラーの体を投げ捨てる。フュラーは壊れた人形のように地面でバウンドし――身に着けた衣服とその下にある床が、みるみる赤い血で染まっていった。
 フュラーの遺体を見下ろして、メビスは薄く笑った。深く刺された胸の怪我を、意に介していないかのようだった。
 メビスの心臓は確かに破壊されていた。しかし彼女にとって、心臓を刺されることは致命傷にならない。
 ――魔軍を率いる将の一人、マドゥは以前魔族を軟体動物に例えた。
 軟体動物のタコが心臓を複数持つが如く、魔王メビスもまた三つの心臓を備えている。たとえ二つの心臓が潰されたとしても、残る一つで身体機能を維持することができる。魔族の中でも異端といえる肉体を有していた。
「わらわが見る未来は、身の破滅に関わる事柄のみ。……つまり。今日ここで起きたことは、わらわにとってさしたる脅威でもなかったということじゃな」
 静かな微笑みをたたえ、メビスはロゼへと流し目を送った。
「嘘でしょう……?」
 消え入りそうな声でロゼがつぶやいた。動かなくなったフュラーの体を見つめ、唇を震わせている。
 ――絶望の足音が響く。無防備な姿をさらすロゼに、メビスがゆっくりと近づいていく。
「おや」
 突然メビスが立ち止まり、そして振り返った。
「心筋の拡張で弾いておったか。そなた、本当に人間か?」
 メビスが視線を送る先には、フュラーが立っていた。凍てつくような殺気を放ち、まっすぐメビスをにらみつけている。
 フュラーの足元には真っ赤な血だまりができていた。全身からあふれ出た大量の血は、すでに致死量を上回っていた。
 もって数秒の命を懸け、フュラーはメビスに向かって特攻した。穴の開いた右腕を振り上げ、フェイントもなく殴りかかる。
「よかろう。その勝負、受けて立とうぞ」
 メビスも右手で握り拳を作り、フュラーと全く同じタイミングで突きを放つ。
 凄まじい破裂音が鳴り響き、両者の拳が後方へと弾かれた。
 激突時の衝撃波が空気を震わせ、周囲の者たちに襲いかかる。近くにいたロゼの髪が、一瞬大きく舞い上がった。
「引き分けか。良き戦であった」
 拳を弾かれた体勢のままメビスがつぶやいた。
 先にフュラーが右手を下ろし、そのまま前のめりに倒れ込む。死をも乗り越え立ち上がった超人が、ついに力尽き果てた。
「では、残った邪魔者どもを片すとしようかの」
 メビスが握っていた右手を開き、ロゼの護衛隊を見据える。
 逃げ道はない。最大戦力であるフュラーが戦闘不能に陥った今、ロゼたちに業魔女王メビスの追撃を振り切る術はなかった。
「ロゼ様! ここは我々が!」
 護衛隊の副隊長がメビスの前へと立ちはだかり、ものの一秒で触手に心臓を貫かれた。真っ赤な血が飛び散り、ロゼの顔を汚す。
 降りかかる血の生温かさに、ロゼの意識が少しだけ覚醒した。キッと歯を食いしばり、腕を大きく横へと振って護衛隊に合図する。
「……全員散開! バラバラに散って逃げなさい! これは命令よ! 早く!」
 ロゼの命令を受け、護衛隊は一斉に走り出した。立ち尽くす魔人たちの間をすり抜け、出口へと駆け抜ける。
 優秀な護衛隊だった。逃げに徹すれば易々とは捕まらない。
 周りの魔族たちは動かない。ロゼには確信があった。メビスに「邪魔をするな」と言われた彼らは、その命に逆らってまで侵入者を捕まえようとはしない。
 恐怖政治は個々の判断力を低下させる。メビスが暴力によって魔族たちを従えていると知ったときから、ロゼは魔族の弱点を看破していた。
「むう……」
 メビスは逃げた護衛隊を追いかけようとしたが、すぐに諦めて立ち止まった。隊員が一箇所に固まっているならまだしも、散り散りに逃げられたのでは全員を仕留められない。
 第一、護衛を一人か二人倒したところでメリットはない。すぐ近くにはリーダーのロゼが残っているのだから。
「……っ」
 護衛隊が消え、残るはロゼ一人。
 敵地の中枢。最強の女王を前にして孤立。最悪の状況下に置かれ、ロゼは恐怖に打ち震えた。
 ――正確にいえば、ロゼは敵に対し怯えているわけではなかった。
 絶対の信頼を置くフュラーが敗れたこと。認めたくないその現実に、かつてないほどの恐怖を感じていた。フュラーが殺された時点で、ロゼの心は打ち砕かれていた。
「さて。残すは虎の威をなくしたネズミが一匹……」
 伸ばした触手を背中に引っ込め、メビスはロゼの眼前に立った。
「よもや苦もなく殺してもらえると思ってはおるまい……。さて、どう始末をつけるべきか」
 近づいてくる魔王を前に、ロゼは少しの反応も見せない。先刻魔族たちを畏怖させた凄まじいオーラが、今のロゼからは全く発せられていなかった。
「いたぶっても良いが、早々に壊れてしまってはつまらぬ……。少し趣向を凝らすとしようか……」
 もはやメビスの言葉は届いていなかった。揺れる瞳でフュラーを見つめたまま、ロゼは心神喪失に陥っていた。
 まだ終わりではない。
 生き残らされたロゼは、絶望の先にあるものを見届けなければならない。
「陛下!」
 マドゥが大きな声を上げ、メビスの元に駆け寄った。
「深手ではありませんか! 早く手当てを……!」
「心の臓を一つ潰されただけじゃ。一年もすれば完全に治る」
 そう言った直後、メビスの口から青い血が一筋流れ落ちた。
「おっと。ふふふ……」
 口元の血を手の甲で拭い、嬉しそうに笑うメビス。かつてない強敵との戦いも、魔王にとっては余興の一つでしかない。
「その小娘に客室を用意するのじゃ。丁重に扱え」
 メビスの命を受け、マドゥは動かないロゼに視線を送った。
「陛下。この女にはもはやなにもできません。力のない娘一人、解放しても問題ないのでは……」
 再びメビスの方へと振り向き、マドゥが進言する。
「力がない……? まあよいではないか。それに此奴を人質にすれば、勇者が釣れる」
「勇者が……まさか――?」
「そなたから勇者のことを聞かされ、わらわの想いは決まった。この手で偽りの勇を討つ」
 マドゥはもう一度ロゼを見た。真の勇者が生存していない今、該当する人物は一人しかいない。
「ココロ・ニルーファのことを知っているか?」
 マドゥの質問に、ロゼはなにも答えなかった。焦点の定まらない目でどこか遠くを見つめている。
「……誰か。この娘を客室へ連れていってくれ。丁重にだぞ」
 対話を諦め、マドゥは部下の一人にロゼを預けた。魔族の男に連れられ、ロゼはその場を後にした。
「約束は守らねばのう」
 ロゼの背中を見つめてメビスがつぶやく。
 最後の勝負をする直前、フュラーはその目でメビスに訴えていた。『勝負に勝ったらお嬢様の身の安全を保証しろ』と。
 メビスはその勝負を受け、そして引き分けた。負けてはいないが己のプライドに準じ、ロゼの身に危害を加えることはしなかった。
「楽しいな。人間というものは」
 メビスは感動していた。
 死に体を動かしてでも主を守ろうとしたフュラーの忠誠心に。その忠誠心を生んだロゼの求心力に。
 マドゥはロゼに力がないと言ったが、メビスの考えは違った。ロゼには他を圧倒する強力なカリスマ性があった。護衛の一人がためらわず命を投げ出したことからも、彼女がどれほど信頼されていたか、うかがい知ることができる。
 フュラーが倒れた後の指示も悪くなかった。己の身を餌に部下だけでも逃がそうという判断。実際メビスはまんまと乗せられ、護衛隊を見逃してしまった。
 それほど判断力のある人間が、危険を犯してまで攻め入ってきた。そのことに、メビスは強い疑念を抱いた。
 なにがロゼをそこまでうかつにさせたのか、メビスにはわからない。フュラーに心酔するあまりロゼが冷静で居られなかったことなど、知るはずもない。
「ときにマドゥよ。以前とは人間に向ける目つきが変わったのう……。誰ぞに懸想でもしたか?」
 退室するロゼを見送った後、嬉々とした声でメビスが尋ねた。
 マドゥは居心地の悪そうな顔で頭を掻き、おもむろに口を開いた。
「……恋愛感情はありませんが、良き勇士と巡り会いました。今はただ、決着のみを望んでおります」
「勇者か?」
「はい」
 迷いなく答えて、マドゥはメビスの瞳を見つめた。
「ならば任せよう。思う存分干戈を交えてくるがよい」
 きびすを返し、自室へと戻っていくメビス。当初の計画では、この後自らの心臓を供物として、存在解放能力を使用するはずだった。
 しかし、ロゼたちの乱入により予定が狂った。三つある心臓の一つを、フュラーに潰されてしまった。
 残す心臓は二つ。その内一つを用いれば計画は実行可能だが、内臓二つを失った状態で不測の事態が起これば、今度は本当に命を落としかねない。万一に備え、回復を待つ必要があった。
「……感謝します。――母上」
 メビスの背を見つめ、マドゥはその場にひざまずいた。
「早く来い偽者。母上が力を使えば、この世は地獄と化すぞ……」
 ぽつりとつぶやいたマドゥの声は、誰の耳にも届くことなく石造りの床へと吸い込まれていった。



 ロゼたちの魔城到着から遅れること数週。ココロ・ニルーファは魔族の領地へと足を踏み入れていた。
 母を残して旅立つのは心苦しかったが、元より勇者の影として過ごしてきた身。魔王の存在を捨て置くことなどできなかった。
 養母や義弟のキズナには行き先を告げず、ココロは一人で旅立った。生きて帰れるかもわからない旅。余計な心配をかけさせたくはなかった。
「さむ……」
 ココロの吐く息が白に染まる。盆地のため冷たい空気が流れ込みやすく、一帯はひどく冷え込んでいた。
 近くの都から歩いて数日。
 ココロが最初にたどり着いたのは、王国軍の前線基地。朽ち果てた建物の残骸が並ぶその場所で、王国兵たちと接触していた。
「あのー。ここはなんなんスか」
 手近な王国兵をつかまえてココロが尋ねる。
 突然の来訪者に、初め兵士たちは驚いていた。が、勇者の存在については知らされていたので、すぐ落ち着きを取り戻した。
「元は兵站基地として使われていた場所だったんだ。もう何十年と放置されていたからボロボロだけどね」
 ココロの問いに答えたのは、前線基地の隊長だった。見た目は二十代前半。歳若い男の隊長だった。
「ここは寒いから、とりあえずこちらへどうぞ勇者様。温かいお茶を用意したよ」
「勇者様はやめてくださいッス。愛称もしくはココロちゃんでお願いしますッス」
 隊長に案内され、設営されたテントの中へ移動する。ココロはそこで熱いお茶をもらいながら、話を聞くことにした。
「つい最近、魔族の一団が西へ大移動したんだ。数は三千以上。まだ未確認だけど、決戦の準備をするつもりなんじゃないかって」
 魔族たちの戦力についてココロが質問してみたところ、隊長からそんな答えが返ってきた。
「西にはなにがあるんスか?」
「あっちは連邦国領になってるね。ウチの国より肥沃だし、わからないではないんだけど……向こうは兵の数が軽く三万は超えてるから、どうかな」
 連邦国の領地をたかが三千の兵で攻め落とすことは、いくら魔族が特別な力を持っていても難しい。仮にその三千人が皆戦闘員だったとしても、兵力差は十倍以上。魔族たちに勝ち目はない。
「お? でもそれってもしかして、城を攻め落とすチャンスなんじゃないッスか?」
 ココロの発言に、兵隊長は大きくうなずいた。
「その通り。だからこうして準備を整えているわけなんだけど……」
 西へ移動した魔族の一団が、回り道して都を攻めてこないとも限らない。そのため王国軍は、都を守りやすい兵站基地跡に駐留したのだった。
「とにかく魔王をやるなら今が狙い目ッスね」
 ココロがテントの外へ向かってふらふらと歩き出す。と、若い兵隊長がその前に出てココロを押し留めた。
「いや。君はここで待っていてくれるかな」
「隊長さん?」
「まだ罠の可能性が消えたわけじゃない。切り札の勇者様を危険にさらすことはできないさ。ここは僕たちに任せて」
 兵隊長に背中を押され、ココロは営所に戻された。
「それじゃあ僕はこれで」
 兵隊長はそう言ってココロの前を立ち去り、部下の兵士たちに集合をかけた。
「嘘が上手いッスねー」
 指揮を取り始めた若い隊長に、ココロは冷めた視線を送った。
 口先では『勇者を危険にさらさないため』とうそぶいていたが、隊長の心中は功名心でまみれていた。自分の指揮で魔王を討ち取り、勲功を立てること。彼の頭にはそれだけしかない。
 隊長の決定をココロは不服に思わなかった。自らの手で仕留められないのは残念だが、魔王に罰を与えられるのであれば文句はない。魔王メビスの死をフィーナの墓前に報告し、仇討ちは完了とする。それで十分だった。
 復讐心が色あせたわけではない。命に代えても魔王を討つ覚悟で、ここまでやってきた。
 しかしココロには、それ以上の優先事項があった。魔城に囚われたロゼの救出である。


 ――しばらく前。
 母と和解したココロは、そのまま母が住む町に滞在し、そこで平穏な時間を過ごしていた。
 魔族の領地へ赴くきっかけとなったのは、ロゼの護衛隊員がココロの元へやって来たことだった。
「お嬢様が……ロゼ・ケーリアが魔族に捕らわれました」
「ロゼちゃんが……」
 護衛隊員の話を聞き、ココロは血相を変えた。
「どうにか全滅は免れましたが、側近を務めるフュラー殿は魔王の手にかかり戦死。お嬢様が魔城に孤立しているという最悪の状況です」
「フュラーさんもやられたんスか。そいつぁ洒落にならないッス……」
 知り合いが殺害されたショックも大きかったが、フュラーが敗北したという事実そのものにココロは驚きを隠せなかった。
 フュラーの実力はココロを上回っている。戦っている姿を見たのは一度きりだが、そう簡単にやられるような男でないと認識していた。
 そんな彼を、魔王メビスは殺してのけたという。ココロにはその光景が全く思い浮かばなかった。
「ロゼ・ケーリアは今、革命運動の首謀者という微妙な立場に置かれています。側近亡き今、王国の者と接触させるわけには参りません」
「王国兵が魔族とやり合ったら、どさくさ紛れに拘束されたり殺されるかもしれないってことッスね」
「ご理解が早くて助かります。話というのはそのことでして、ロゼ・ケーリアの救出、保護に協力して頂きたく……」
「そりゃもちろんッス」
 ココロは即答した。ロゼの命がかかっているとなれば、じっとしてはいられなかった。
「作戦はどうするんスか?」
「恥ずかしながら、我々の技量では魔王に敵いません。隙を見て忍び込むしかないでしょう」
「んーじゃ魔王が出てきたら、あーしは最初の予定通り大暴れさせてもらうッス」
 ココロは左右の手を握り締め、胸の前で力強く拳を合わせた。
 極端に体の大きいココロでは、隠れてロゼを救出することなど不可能に近い。暴れて敵の目を引きつけることくらいしかできることはない。
「本当は私がその役を担いたいところですが……」
 若干悔しそうな顔つきで言って、男は右手首に着けている腕輪を持ち上げた。緑の宝石が埋め込まれた、高価そうな腕輪だった。
「亡き妻から贈られた物です。妻は魔族の襲撃で命を落としましてね。仇をとってやりたかったのですが、魔城から逃げ出すのがやっとの有様で」
「でも生きて帰れたからこそ、こうして味方を集められてるじゃないッスか」
「そうかもしれません。つのる恨みは、影ながらの支援で晴らさせてもらうとしましょう」
 ココロとロゼの護衛隊員は、現在の状況や今後の行動方針について、細かな話を進めた。
 ロゼの救出作戦には、多くの協力者が参加を希望したという。
 しかし前線基地に駐留する王国兵との衝突を避けるため。また、ロゼの身の安全を最優先するという観点から、少数精鋭で挑むことが決まった。
 ココロが呼ばれた最大の理由は、魔王メビスを単独で撃破可能な実力者の存在が求められたからである。
「ロゼちゃん、革命運動なんかしてたんスね。社会的にはワルモノってことになるのかな」
 必要な話を終えたココロは、ロゼの護衛隊員に雑談を振った。
「善悪はともかく、強い指導者であることは確かです。私も多くの人間を見てきましたが、あの方は世界を統べるにふさわしい人ですよ」
「ロゼちゃんは幸せ者ッスね。こんなにも信じてくれる人がいる」
 ココロにははっきりと見えていた。護衛隊員の、ロゼに対する全幅の信頼が。
 王家の血を引いているわけではない。天賦の才を持って生まれたわけでもない。ココロのような異能や、フュラーのような身体能力を持つわけでもない。
 そんなロゼが誰よりも人の信頼を集め、誰よりも高みに到達している。理解し難いその現実に、ココロは羨望を覚えた。
「あなたのようなご友人こそ、ロゼ・ケーリアにとって何よりの宝と言えましょう。私の友人などは、危険を冒して救出になど来てくれませんから」
 護衛隊員の言葉に、ココロはむずがゆい思いを抱いた。ロゼの救出も目的の一つではあるが、それだけではない。魔王に対する私怨や、魔城にある旭光の杖の存在なども、ココロが作戦参加を決めた理由だった。
「それではそろそろ失礼を……。手前どもは先に現地へ赴き、情報収集をして参ります」
 ロゼの護衛隊員はそう言って席を立った。
「お城に近づくのは危なくないッスか」
「これでも一度は魔城からの脱出に成功した身です。魔王本人が出てこない限りは大丈夫でしょう」
 ぐっと親指を立てて護衛隊員が微笑む。
 ある種の覚悟と悲壮に満ちたその笑顔を見て、ココロは一抹の不安を覚えたが何も言い出せなかった。


 王国軍前線基地の営所で、ココロは一人の時間を過ごしていた。テントの外ではひっきりなしに話し声が響いている。王国内で起きている革命運動について様々な連絡と相談がされているようだったが、ココロにとってはどうでもいい話だった。
 空腹を覚え、ココロは荷物袋の中からパンを取り出した。出かける日に、ココロの母が渡してくれたものだった。
「おいしいッス……」
 母の焼いたパンをかじり、ココロはじっくりとその味を噛み締めた。
 未練がないと言えば嘘になる。十年ぶりに感じた家族の温かさを振り切ることは、後ろ髪を引かれる思いだった。
 それでも、ロゼを見捨てることなどできない。ロゼはココロにとってフィーナ以来の友達であり、母と再会するきっかけを作ってくれた恩人。
 魔城へ赴くことは、魔王討伐という本来の目的とも重なる。悩みに悩み抜いた末、ココロは魔族の領地へとやってきた。
「最後にお母さんと仲直りできて、本当に良かった……」
 ココロの目から一滴の涙がこぼれ落ちた。「あれっ」とつぶやき、あわててまぶたを上からこする。
 まだ帰れなくなると決まったわけではない。ロゼを救出して無事に脱出できれば、また母や弟と一緒に過ごすことができる。
「頑張るッス」
 気持ちを新たにココロは動き出した。テントの隙間から顔をのぞかせ、王国軍の動向をうかがう。
「偵察隊からの連絡はまだか」
「依然途絶えたままです。それより都で活発化する革命運動を鎮圧せよと子爵様から要請が……」
「今は難しいと伝えろ。革命が成ろうが成るまいが、貴族は切り捨てられるそうじゃないか。恩を売ったって骨折り損だよ」
 兵隊長と部下の会話を聞きながら、ココロはそっと営所を立ち去った。途中見張りの兵士に呼び止められたが、「一旦都に戻るッス」と言って、そのまま魔城へと向かう。


 急がなければならない理由があった。
 この地へやってくる以前。ココロは都にて、ロゼの救出作戦に参加する仲間と落ち合っていた。
 そこで聞かされた話によると、魔城の周囲で情報収集を行っていたメンバーが行方不明になっているという。
 魔族に見つかり捕らえられたのではないかと危惧し、ココロは魔城周囲への偵察行動を買って出たのだった。
 魔族が大移動していたことは、渡りに船だった。相手の目的は不明だが、単独で侵入するには都合がいい。


「着いた……」
 遠くに見え始めた魔城の門を見据えて、確かめるかのようにココロがつぶやいた。
 とうに日は暮れており、辺りは暗い。月光とかがり火の灯りを頼りに、ココロは門へと向かった。
 ――けたたましいカラスたちの鳴き声が、城の方角から響いている。かすかな腐臭が鼻を突き、ココロは顔をしかめた。
 魔城の城門前に、高い杭がいくつもそびえ立っている。杭の頂点にはそれぞれ何かがくくりつけられているようで、そこに無数のカラスたちが群がっていた。
「まさか……そんな……」
 不吉な予感を覚え、ココロは急ぎ足で城門前へと向かった。近づくほどに腐臭が強まり、予感が確信へと変わっていく。
 走ってくるココロに気づいて、カラスたちが一斉に飛び立った。
 杭の頂点にくくりつけられたボロボロの肉塊が、ココロの頭上にあらわとなる。
 ――腕。
 ――足。
 ――頭髪も確認できる。
「……っ!」
 ココロの瞳孔が大きく広がった。眼のピントがずれ、視界がかすみがかったようにぼやける。
 カラスにつつかれボロボロになった腕から、金属の輪が落ちた。甲高い音を響かせ地面に転がったそれは、緑の宝石が付いた装飾品。どこかで見た腕輪だった。
「魔王……!」
 ココロは憤怒した。無表情のままで。
 怒りがあまりにも強すぎて、表情筋を動かす余裕すらなくなっていた。固く握り締められた両の拳から、メキメキと関節のきしむ音が鳴り響いていた。


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