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イモータル

1章『石造りの都、神に見放されて』

~ディノ・ガレル~

 歌声は今日も響いている。どこの国の歌だろうか。歌詞に使われている言葉は、僕たちが話す公用語と明らかに違う。
 無数の人々が行き交う繁華街の一角。大衆酒場『石造り亭』の店先で鉢植えに水をやりながら、青年は今日も歌っている。よどみなく、美しいその声で。
「やあ、ピエロ君」
 黒服を着た歌い手の青年は、片手を持ち上げて挨拶した。優しく優雅に微笑みながら、澄んだ空色の瞳で僕を見つめている。
 彼の美しさ。声色だけではなかった。目鼻立ちは精巧に造られた人形のように無駄がなく、体つきは女性よりも華奢でしなやかだ。ゆがんでいるのは心だけ。壊れているのは心だけ。
「違うよローリー。また間違えてる。僕はピエロ君じゃない」
「あれ。そうだったっけ」
 端正な顔立ちの青年――ローリーは、穏やかな笑みを浮かべたまま首をかしげた。銀色に輝く彼の髪が小さく揺れた。
 ……なにを考えているのだろう。出会った頃の彼は、もっとわかりやすい人柄だった。
 今では全くわからない。なぜ『ピエロ』だと思ったのか。この前はファブリッツィオと呼ばれた。そのまた前は女の名前だった。本名はディノだと、何度教えても覚えようとしない。
 変わってしまったのは三年ほど前。自殺志願者たちの間で流行したという劇薬が、彼から整合性を奪い取った。以来、彼はあの歌を口ずさみ続けている。昨日も、今日も、明日もきっと。
「昨日、新人さんが入ったんだ。すごく綺麗な女の人」
 変わらない表情で、唐突にローリーが言った。僕は慌てて相づちを打つ。
「そうなのかい?」
「本当、素敵な人なんだ。もう一目で好きになっちゃったよ」
「……君が?」
 ――驚いた。彼がまともだった三年前までなら、別段おかしなことではないけれど。
 少なくともここ数年、ローリーの浮いた話などは耳にしたことがない。
 彼が恋心を取り戻したこと。喜ぶべきなのだろうか。けれど、真っ先に脳裏をよぎったのは不安。なぜなら彼は壊れているから。
「今夜、店が開いたらおいでよ。キミは特に気に入るはずさ。ね、どうかな」
「わかった。必ず来るよ」
 即答する。単純な興味もあった。どんな女性なのだろうとか、どれほど美人なのだろうとか。
 でも、それ以上に気になるのが彼の動向だ。おかしな真似をしないといいけれど……。
 彼と別れの挨拶を交わし、乾いた石畳の上を歩く。
 やがて聞こえてくる歌声。それを聴きながら、僕は昔の彼を思い浮かべた。



 ――帝都アムルパーレ。石とレンガの都。
 地面は全て天然アスファルトと石で舗装され、家屋は全てレンガと石で建てられている。都市の真ん中に鎮座する巨大な古城も石造り。ここの景色は石ばかりだ。
 最後に土を踏んだのは、いつの頃だっただろうか。この街にいる間は、一度もなかったはず。
 そう。三年前だ。六年前、僕は帝都の大学に入学し、三年前に一度だけ里帰りした。大地の感触を味わったのはそのときだ。
 あのときは感慨もなにも沸かなかったけれど、今ではときどき、外の世界を恋しく思うこともある。
 都市中央部にある大用水路を越え、漆喰で覆われた大きな建物――官公署へ向かう。雑多な書類を届けるのが目的だ。
 ――代書屋。それが僕の職業だ。商売等の許可申請書や会計記帳、契約書、遺言書など公的な書類から、果たし状、嘆願書、ラブレターまで、あらゆる文書の代筆をするのが仕事。
 識字率がそれほど高くないこの国で、文書の作成ができるというのは大きな強みだ。貴族から依頼が来ることだってある。
 もちろん、文字が書ければ誰でもなれるというものではない。代書屋を名乗るには、正規の大学で六年間、法学を学ぶ必要がある。
 大学へ通うのには多額のお金がいる。そのため、この職業は敷居が高い。代わりに、代書人の資格さえ得られれば収入はいい。駆け出しの僕ですら、肩書きの恩恵をはっきりと感じている。
 ――官公署前の噴水広場を抜け、建物の中へ。けだるそうに仕事をする若い役人をつかまえて、手にした書類を預ける。後は家へ帰り、今日請けた分の申請書などを作成すれば仕事は終わりだ。
 帰宅しようと踵を返す。そのとき、視界の端にうずくまる人影が映り込んだ。
 灰色の服と灰色のズボンを着けた男だった。
 気分でも悪いのだろうか。
「大丈夫ですか」
 心配になり声をかけた。男の様子に気づき、役所の職員らも駆けつけた。
 間近で見ると、服やズボンは暖色系の色で着色されているのがわかった。灰色に見えたのは、なにか粉っぽいものが付着しているからだ。男の顔や髪にも、灰色のなにかが付いている。
 灰の男は咳払いをした。大量の粉が舞い上がった。
「あの、本当に大丈――」
 もう一度声をかけようとしたとき、僕は見てしまった。
 うずくまった男の瞳。白目も虹彩もなく、眼球全体が黄土色に変色していたのを。
「――っ!」
「異形成腫活化病だ。軍に連絡を」
 誰かが言った。
 ――そう。彼らを処理するのはただの警察機関ではない。軍の憲兵隊だ。
 僕は息を呑み、音を立てないよう灰の男から離れた。

 ――異形成腫活化病。その病名を耳にするのは久しぶりだった。
 それは都市で流行した変異の病。アムルパーレの誰もが恐れる奇病。
 これにかかった人間は、人体の構造を大きく変化させる。獣のようになってしまう者。魚のようになってしまう者。眼球や手足が次々に増殖した者もいたそうだ。
 変異が脳にまで及ぶと、その人物は発狂し、見た目も中身も完全なモンスターと化す。
 ……それだけならまだいい。
 変異の病が真に恐れられる理由。
 ……死なないのだ。彼らは。
 焼こうが、切り刻もうが、酸を浴びせかけようが、決して息絶えない。
 理性を失った不死の怪異。その多くは、とある場所へ連れていかれ、生き埋めにされるのだとか。

「キミはもう帰りなさい。あれは軍に任せるから」
 役所の職員が言った。その言葉に、僕は黙って従った。あの男が怖かった。
 官公署を出て自宅に帰るまで、震えはずっと治まってくれなかった。


~ディノ・ガレル~

 赤茶色のコートに付いた砂粒を軽く払い、僕はその店へ入っていった。
 ――大衆酒場、石造り亭。
 最大で三十名ほどが座れる中型のホールに丸テーブルが五つ。壁に備え付けられたいくつかのオイルランプが、店内をぼんやりと照らしていた。
 今夜の石造り亭は多くの人で賑わっていた。この時間帯。普段なら多くて十人程度の、主に常連しかいないはずだが。今日に限ってその倍以上は入っている。
 噂の新入りを一目見に来たということなのだろうか。男性客が多い。
「やあ、ローリー」
 小走りで酒と料理を運ぶ友人に挨拶する。
「大盛況じゃないか。座る席がないよ」
「みんなに宣伝したからね」
 ローリーはそう言い、嬉しそうに笑った。おかしな振る舞いをしていても、これでなかなか、彼は商売人なのだ。
「カウンターの前で待ってて。イス持ってくるから」
「ああ。頼むよ」
 店の奥へ消えていくローリーを見送った後、僕は改めて店内を見回した。店員らしき人物はローリーを含めて二名。他にも店の奥で料理を作っている人がいるだろう。少し前までは中年の男性が店長を務めていたけれど、里帰りしてしまったとか。
 ウエイトレスを視界に捉える。女性にしてはかなりの長身だ。オイルランプの小さな灯りでは、顔までよく見えないが、立ち振る舞いから伺える印象は、洗練された大人の女性といった感じか。仕事用のちゃちなエプロンドレスがひどく似合わない。
 ――ウエイトレスがこちらを向いた。
 思わず視線を外してしまう。やましいことなどないが、ずっと見ていたと思われては気恥ずかしい。
 視界の端に彼女を捉え、それとなく様子をうかがっていると、ウエイトレスは僕の方へとまっすぐ歩いてきた。注文内容を店長に伝えるのかと思ったが、そうではなかった。僕へ向けて、彼女は口を開いた。
「あの、すみません。席の方すぐに準備しますので、お待ちください」
「――え」
 時間が凍りつく。
 話しかけられたことに驚いたわけではない。
 彼女の声。聞き覚えがあった。六年ぶりになる、懐かしい響き。
 振り返り、視線を交わす。
「――あ」
 ウエイトレスは目を丸くし、硬直した。
 間違いない。勝気そうな瞳。ピンと伸びた姿勢。髪型はショートになり、若干やせているけれど間違いない。面影は今も――。
「え……? まさかそんな……。嘘……本当に……?」
 ウエイトレスは口元を押さえ、体を震わせている。かなり動揺しているようだ。
「ディノ……? あなた、ディノでしょう?」
「……そうだよ」
「ああ、本当に……!」
 今にも泣き出しそうな表情で、彼女はこちらを見つめた。
 ――どうしよう。
 彼女と話がしたいのに、なにも言葉が浮かんでこない。
 あの日から、もう二度と会うことはないと、ずっとそう思っていたから。
「おまたせ、ピエロ君。……あれ? なにかあったの?」
 予備の丸イスを抱え、ローリーがやってくる。ウエイトレスはそっと目尻を拭い、仕事の顔に戻って言った。
「えと、ごめんなさい。注文を訊いてて……」
「そっか」
 僕がエールを注文すると、ローリーはうなずいてその場を離れた。
「ね。今日とか明日、忙しいのかな」
 耳元でそっと、やや遠慮がちにウエイトレスが尋ねてくる。
「いや。今夜はずっといるよ。話したいこともあるし」
「……そっか」
 ほっとしたような彼女の笑み。
 今日すぐに話をする必要はなかったかもしれない。明日も彼女はここで働くのだろうし、別の時間に待ち合わせてもいい。
 それでも今夜ここに残ろうと思ったのは、不安だったからだ。六年ぶりに再会した大切な人との縁が、たとえ一日であっても、途切れてしまうことが。

 壁にかけられた振り子時計を見ると、時間は午前二時を回るところだった。ローリーは後片付けを始めている。僕以外の客は、もう残っていない。
 しばらく待っていると、薄手の私服に着替えたウエイトレスがやってきた。
「ごめんね、ピエロ君。彼女を家まで送っていってあげてくれないかな」
 僕と彼女の関係を聞いたのだろう。いつもの優しい笑顔でローリーが言う。
「よろしくね。僕はまだ仕事があるから」
 そう告げると、ローリーは去っていった。ふと横を見ると傍らで『彼女』が笑いをこらえていた。僕が違う名前で呼ばれていたのがおかしかったらしい。
「ピエロ君? なにそれ」
パントマイムが得意技なんだ」
「嘘ばっかり。顔が笑ってるもん」
 二人並んで店を出る。夜の湿った風が髪をなでていった。
「どこまで送ればいいのかな」
「そこ」
 彼女が指し示したのは、店の隣に建てられたレンガの家屋。
「店長さんの物件なんだって。だから、ここには住み込みで働いてるようなものかな」
「……僕が送る意味はなかったね」
「そんなことないって。こうやってここで、ゆっくり話せるんだし……さ」
 ――彼女を見る。女性でありながらも、身の丈は僕よりも高い。僕だって平均以上はあるはずなのに。
 大人になれば追い越せるだろうという、少年時代の淡い期待は見事に打ち砕かれたようだ。
 悔しい反面、やっぱりな、という気もしていた。自分よりも小さくなった彼女の姿など、想像できなかったから。
「でも、さ。ちょっとだけたくましくなったよね。昔のディノ、いつも怯えた目してたのに、今は全然そんなことないもの」
「怯えもするさ。恐ろしく強い姉さんがいつも眼を光らせていたからね」
「こら。誰のことだー?」
 コツンと頭を叩かれる。
 六年前に同じことを言ったなら、僕は本気で怒鳴られていただろう。
 ――僕の姉。ロミーナ姉さん。勝ち気で男勝りで体も大きいこの姉に、子供の頃、僕はよくいじめられたものだ。叱られたり、叩かれたり、水をかけられたり、まあいろいろ。
 こと姉さんに関しては、いい思い出というものがほとんどない。六年前に僕が実家を飛び出したのも、わがままな姉から逃げたいという理由が大きかったかもしれない。
 なのに今、こうして再会できたことを喜んでいる自分がいる。
「今まで、どう暮らしてたの?」
「ずっと大学で勉強だよ。ついこの前卒業して、今は代書屋をやってる。姉さんこそ、どこで生活していたんだい?」
「あたし……は……」
 姉さんの表情に、暗い影が浮かび上がった。
「……いや、ごめん。言いにくいならいいんだ」
「謝らなくていいって」
 ――失敗した。軽々しく口にできるはずがない。
 違法ドラッグの流行で国中が動乱の渦中にあったあのころ。故郷の町が、異形成腫活化病に侵された何者かに襲撃され、壊滅的な被害を受けた。当時大学生だった僕は、この街でその報せを耳にした。
 すぐ里帰りした僕の目に飛び込んできたのは、瓦礫と化したかつての我が家。町に派遣された帝国軍から、両親は死亡、姉さんは行方不明だと告げられ、目の前が真っ暗になったことをよく覚えている。
 あれから三年。死んだものと思っていた姉が、僕の前に現れた。
 楽な暮らしはしてこなかっただろう。彼女の瞳に沈みこんだ疲れの色が、これまでの苦悩を物語っている。
「本当はね、ディノ。すぐ会いに行こうと思ってたの。でもあたし生きてくだけで精一杯だったから」
「ごめん。姉さん。僕がもっとしっかり捜していれば、姉さんに苦労はさせなかったのに」
 姉さんは右手で髪をかき上げ、明るい表情を作った。
「やめやめ! もうこの話おしまい。せっかく感動の再会したのに暗い顔ばっかりして。お姉さんは悲しいぞ」
 わざとらしく泣き真似をしてみせる姉さんを見ていると、少し気持ちが明るくなった。
 このおどけた態度は僕への気遣いだ。本当なら、僕がロミーナ姉さんを励ましてあげるべきなのに。
 それから僕たちは、しばらくの間他愛のない話題で盛り上がった。六年分の距離を埋めるには全然足りなかったけれど、少しだけ心が通い合った気がした。



「あ。また来てる」
 空のグラスをトレーに乗せ運びながら、僕を見てローリーがつぶやいた。
 あれから二週間。三日に一度のペースで僕は石造り亭に通っている。前は週に一回程度しか来ていなかったけれど、この店で働く姉さんの存在が、僕を惹きつけていた。
「ロミーナさんが心配なのはわかるけど、仕事中はそんなに話せないんだから。開店前に来た方がいいんじゃない、アモロス君」
 今夜はアモロスなのか。姉さんの名前は間違えていない。僕にだけわざとやっているんじゃないだろうか。
「僕にも毎日仕事がある。いつも開店前に長話はできないよ」
「請ける仕事の量を減らしたら? 代書屋って、多少は融通が利くんじゃなかったっけ」
「そういうわけにもいかないよ。訪ねてくる人を追い返すわけにもいかないし」
「いいけどね。キミが毎日来てくれると、僕も楽しいし」
 ローリーはグラスにワインを注ぎ、軽い足取りでその場を離れていった。今夜も彼は忙しそうだ。
 隙間風が吹き込んできた。新しい客が入ってきたようだ。外の冷気を伴って来訪者が歩いてくる気配。酒場独特の喧騒の中にあって、その足音は妙に高く響いていた。足音はなぜか僕の背後で止まった。
 ――振り返った。
 そこに立ち尽くすのは小さな少女。目と目が合った。
 ぞくり、と悪寒が背筋を駆け抜ける。
 オイルランプが照らす薄明かりの中、艶かしい輝きが二つ。それは彼女だけが持つ七色の虹彩だ。
 様々な色が混じりあった瞳。腰まで伸びた銀色の髪。みずみずしい肌。未成熟な顔の輪郭や小さな骨格から、年齢は十四、五歳くらいだと推し量ることができる。
 気品とは違う、けれど大人びた表情は、どこか姉さんに似ていた。絶望を知りながら生きあがく者の顔だ。
 少女が腕を前に伸ばす。その手には透き通った赤色の剣が握られていた。はなく、大きく湾曲した刀身の内側に刃がある。
 高い透明度を有した鎌状の剣。
 これによく似たものを、僕は知っていた。あれは確か、『歌声』に次ぐ都市の伝説――。
「受け取ってください」
 少女がささやいた。ガラスを金属で引っ掻いたような、不自然に甲高い声だった。
 ――受け取れ? どうして僕に? 
 僕はゆっくりと手を伸ばした。催眠術でもかけられたかのように、体の自由が利かない。
 ――嫌だ。これに手を出してはいけない。この剣は禍々しいなにかを放っている。あらゆる不吉を孕んでいる。
 指先が刃に触れる――。
 瞬間、目の前に赤い火花が散った。
 全身の間接を同時に打たれたような感覚。急激に意識が遠のいていく。
「赤の剣。確かにお渡ししました。残された時間はわずかかもしれませんが、御武運を」
 耳元で少女の声が聞こえた気がした――。

 意識を取り戻したとき、僕はまだ店の中にいた。カウンターに突っ伏して。どうやら眠ってしまっていたようだ。まぶたを持ち上げ体を起こす。傍らにはローリーがいた。
「あ。やっと起きたね」
「大丈夫? 疲れてるんじゃない?」
 反対側から姉さんの声。壁の時計を見ると、時刻は二時を回っていた。終業時刻だ。
「ローリー。あの女の子は……」
 僕は気を失う前に出会った少女のことを尋ねてみた。
「女の子って?」
 なんのことだかわからないといった様子で、ローリーは首をかしげている。
「見なかったかな。長い銀髪の女の子で……」
 虹色の目についても言うべきかどうか僕は迷った。七色の瞳を持つ人間などいるはずがない。いるとすれば、それは異形成腫活化病に侵されている場合だけだ。話せば大きな騒ぎになるかもしれない。
「銀髪の……女の子か……」
 ローリーの表情がにわかに曇った。
「心当たりが?」
「ううん……。夢を見ていたようだね。……きっと、悪い夢だよ。もう忘れたほうがいい」
 夢……だったのだろうか。少女の顔立ちも表情も、はっきりと思い出せるのに。
 姉さんにも質問してみたが、結局情報は得られなかった。

 疲れが溜まっていると思われたのか。姉さんが家まで僕を送っていくと言い出した。断る理由も思いつかず、僕と姉さんは並んで店を後にした。
「ちょっと変わってるよね、あのローリー君っていう子」
 夜道を歩きながら姉さんが言う。口調に悪意だとか嫌悪などは感じられない。変わってると言いつつも、彼を嫌っているわけではないらしい。
 彼は確かに変わっている。毎日謎の詩を口ずさみ、謎の名前で僕を呼ぶ。彼自身の本名も訊くたびにコロコロ変わる。正しい名前を聞いたのは、六年くらい前に一度だけだ。そのとき、ローリーの家が『銀の家系』と呼ばれる大貴族の一族だと知って驚いたのをよく覚えている。
「でも、いい子だと思う」
「そう。彼はいい人だよ。それだけは僕が保障する」
 姉さんがローリーを気に入ってくれたこと。僕は嬉しく思っていた。
 毎日口ずさんでいる歌のことなど、おかしなところはあるけれど、僕にとっては一番の親友だったから。
「そういえば、ローリーがいつも歌っているあの詩、どこの国の言葉なんだろう」
 ふと疑問を口にする。
「ん……知りたい?」
 答えを期待したわけではなかったのだけれど、意外にも姉さんは心当たりがあるかのような反応を見せた。
「あの歌、実はね……」
 うつむき加減になって、姉さんがなにかを言おうとする。近くにいるのに、暗さのせいで表情はよく見えない。
 そのとき、曲がり角の向こうから人影が現れた。一瞬身構えるが、手から提げたランタンと胸に着けられた鳥形のワッペンを見て、僕は警戒を解いた。
 夜の見回りを生業とする提灯持ちだ。国からの委託で活動する彼らは、一部の人から『国家の家畜』と揶揄されることもあるが、その存在は犯罪防止にそれなりの効果を上げている。
「……それで、姉さん。あの歌がなんだって?」
「ううん。なんでもない。それより、家はどっち?」
 向き直ったとき、姉さんはもう顔を上げていた。歌についてさらに追求したいところだったけれど、なんとなく答えてくれないような雰囲気だったので、僕は訊くのをやめた。

 街道を五分ほど歩き、家にたどり着く。築九百年石造建ての歴史ある家屋だ。表には代書屋の看板を掲げてある。馬車置き場も付いているけれど、そこは使っていない。
「ふぅん。結構大きい家に住んでるんだ。風情もあるし、いい感じ。入ってもいい?」
「いいよ」
 鍵を開けて中に入る。入り口近くに置かれたランタンに火をつけると、姉さんはそれを奪い取り、奥の部屋へと歩いていってしまった。こういう自分勝手なところは昔と全く変わっていない。壁のハンガーにコートをかけ、僕は姉さんを追いかけた。
「最初に通ったのが仕事部屋で、こっちが寝室? うわ、お風呂まである」
「前に住んでいた人が、いろいろ改築したみたいなんだ。生活に必要な設備はなんでも揃ってる」
「ふぅん……あれ、寝室がもう一つ……?」
「共同で使っているんだよ。今は出払っているけど」
「へーえ。そう。ちょっと灯り持ってて」
 なにを思ったのか、姉さんは僕にランタンを手渡すと、ベッドの上に寝転がり、うつぶせの姿勢をとった。
「……女の匂いがする。誰? 恋人?」
「いや違うよ」
「なーんか怪しいな。それで、どんな娘? 可愛い? 美人?」
さあ。どうかな。個性的な人だよ。僕は嫌いじゃない」
 一ヶ月前「ちょっと行ってくる」と言い残して家を出た同居人の姿を思い浮かべる。
 飾らない女性だった。言葉も態度も。家族のように接してくれた数少ない人だ。
 彼女はスラム街で十数年間生活してきたそうだ。食いつなぐためならなんでもやってきたと話していた。
『なんでも』……の詳細までは教えてもらえなかった。きっと口には出せないほどの、過酷な生活を送ってきたのだろう。
 今ごろも多分どこかでたくましく暮らしているはず。……心配していないわけではないけれど。
「恋人じゃない……か。じゃ、あたしがこの家に住みたいって言っても困らない?」
「姉さんがそうしたいなら、構わないよ」
「そんなこと言われたら、一生甘えちゃうよ。それでもいい?」
 エスカレートしていく姉さんの要求に、失笑を漏らす。
 ――いや、笑っている場合じゃない。放っておくと際限なく続いてしまいそうだ。
「先のことはどうなるかわからない。でも、今できることだったら、可能な限り力になるよ」
「本当に力になってくれる? どんなことでも?」
 どんなことでも、の部分を強調される。ここで素直にはいと言ってしまうと後々大変なことになりそうだ。
「まあ……努力はするよ」などと適当にごまかす。
 しかし、そんな僕の言葉も、姉さんには都合よく解釈されてしまったようで――。
「うわぁ、感動した! お姉さんは嬉しいぞ!」
 上機嫌の姉さんに頭を何度も叩かれる。手心を加えてくれているのだろうけれど、結構痛い。
「……ディノ。後ろ向いて」
「どうして」
「いいから」
 無理やりに回れ右をさせられる。姉のわがままぶりは大人になっても健在だ。昔はそれが嫌でたまらなかったけれど、今はただ懐かしいとしか思えない。
 不意に、部屋が真っ暗になった。姉さんが灯りを消したらしい。
 続いて、ランタンを床に置く音。そして、衣擦れの音が背後から聞こえてくる。
「姉さん? なにして……」
「…………」
 応答はない。答える気がないのか、それとも……。
「姉さ――」
 沈黙に耐えかねて、僕がもう一度口を開きかけたその瞬間だった。
 姉さんの細くて長い腕が、僕の胸と腰に巻きつけられた。背中に温かい弾力。後ろから抱きしめられたのだと、一瞬遅れて気づいた。
「あー。なんか安心する……」
 穏やかな口調とは裏腹に、背筋に叩きつけられる鼓動は、どんどん激しさを増していく。
「姉さん。離れて」
「どうして?」
 姉さんの体温が上昇していくのが伝わってくる。人の体はこんなにも熱いものだっただろうか。瞬く間に、互いの汗でじっとりと服が湿ってくる。
「ね。ディノ。いいよあたし。ディノとなら……」
 耳元で甘くささやく姉の声は蠱惑的だった。心が傾きそうになる。けれど……。

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